〈旅立ちの唄〉前編


 ――まだ、私たちが〈渡り鳥〉と呼ばれていなかったあの頃。
 あの日、私たちは〈宿命さだめ〉を背負い、空へ舞い上がった――――



   □   ■   □



 ゴ――――ン……ゴ――――ン……。


 鐘の音が鳴り響く。
 遠くまで響きわたるその音に気付き、ポエは瞼を持ち上げた。腕を円のように組んでいて、その上に乗せていた顔をゆっくりと持ち上げる。
 はらり、と流れた髪が顔を半分隠した。
 どうやら寝てしまっていたみたいだ。ぱちり、と一度瞬きをしてゆっくりと辺りを見渡す。
 机の上には本や小物がきちんと並べられている。自分の所持するものと、図書館で借りたもの。その隣に置かれた小さなガラスの容器には水が半分ほど入っており、白い花が浮かんでいた。そろそろ、水の入れ替えが必要だろうか。その近くにはインクの入った瓶と、羽根ペンが無造作に転がっていた。
「……」
 そういえば、作業の途中で眠くなってしまったんだっけ。
 ぼうっとしていた頭が徐々に動き出してきた。机に突っ伏していたためか、背筋が少し痛いかもしれない。
 両腕をあげてぐっと背筋を伸ばしていると、突然声が聞こえた。
「ポーエー!」
「……ん?」
 それは、自分の名を呼ぶ声だった。
 若干、寝ぼけ眼の目をこすりながら、ポエは立ち上がった。ゆっくりとした動作で部屋に一カ所しかない窓際まで歩いていくと、窓の枠を掴み、がたりと押し開けた。
 涼風が室内に吹き込んで、とても気持ちがいい。
「あーっ! 絶対に今まで寝てたでしょうー!?」
 下から聞こえてくる声に、ポエはゆっくりと下に顔を向けた。
 なだらかな土の道が続いている。今、ポエのいる部屋からはその土の道と、春の芽吹いた緑が美しい草原、そして白い煉瓦の家々が見渡せた。
 ここは、あの密集しているところからは少し離れた場所にある。それが何故なのかは考えたこともなかったが、きっと、家主の事情があったのかもしれない。
 意識があらぬ方へ向かっていた時、また自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「ん、どうしたのー?」
 眼下にいる友人に向かって、ポエは問いかける。
「どうしたのー、じゃないでしょ! 今日の約束忘れたの!?」
 まさかそんな問いかけがくるとは思わなかったのだろう。眼下の友人は大きく目を丸くした。そして徐々に頬が膨らんでいき、表情にも怒りが垣間見えた。
「……あ、そういえば」
 先日、彼女と遊びに出かける約束をしていた。
 それを今の今まですっかり忘れていた。
「ごめん! 忘れてた!」
「まーったく。待っててあげるから、早く出てきなさいよー!」
 腰に手を当てて仁王立ちしている友人に向かって「ごめん!」と両の手のひらを会わせて謝り、慌てて窓を閉めた。
 急いで窓際から離れて、身だしなみを整える。荷物はいつもと一緒なので、別段、何か特別なものを準備する必要はなかった。
「よし、これで大丈夫!」
 そう呟き、ポエはイスにかけてあったショルダーを持って部屋を飛び出した。
 ばたばたと慌ただしく階段を下りていき、すぐに玄関が目の前。靴を履いて扉を開けると、立っていた友人がくすりと苦笑いを浮かべていた。
「ノエル、ごめんなさいっ。待たせちゃって……!」
「だいじょーぶ。いつものことだからね、慣れてるよ」
 友人――ノエルの一言に、ポエは恥ずかしさのあまり頬を赤く染めた。確かに、いつも約束をしては、寝坊か、遅刻することが多い。直そうと思ってはいるのだが、希望は薄い。
 ノエルを直視していられずにきょろきょろと視線をさまよわせていると、また、彼女が笑った。
「あはは! ポエのそーゆう顔、好きだなぁ」
「! は、恥ずかしいってば……」
 なぜか、ノエルはいつもからかってくる。不思議に思ったこともあったが、むずがゆさが頭の中を占めていて考える余裕はなかった。後から気付いて問いかけてみようと思ったこともあるのだが、行動に移ったことは一度もない。
 ――ノエルのそれがどういう理由でなのかは、今のポエには知る由もなかった。
「ほらほら、恥ずかしがらずに行くよー?」
「う、うん」
 舗装された土の道を歩き、二人は街へと入った。白い煉瓦作りの建物が並び、至る所に存在する大きく育った木が青々しい葉を揺らしている。
「二人でくるのはいつぶりだっけ?」
「ええと……確か、五日ぶりくらいじゃない? ほら、前はインクが切れたとか言って、こっちに来たじゃない」
「そうだったね」


 ――彼らは、広がる丘陵に家を造り、暮らしていた。そこは〈里〉と呼ばれていたが、彼らにしてみれば〈街〉でもあった。
 彼らは外の世界を知らずに生きてきた。広がる丘陵、その先にあるのは青い青い海。この場所は、海に浮かぶ小さな島の上に存在していた。
 それでも、彼らは外の世界の知識を持ち、また、外の世界へ行くこともできた。
 何故ならば――――彼らは、翼を持つ民だったからだ。
 今はまだ名も無き有翼の民。
 静かに、穏やかに暮らしていた。


 〈街〉に足を踏み入れた二人は、いつも通る道を歩いていく。時折、すれ違う顔見知りの人たちと挨拶を交わしながら、お互い話しながら足を進めた。
「今日は本当にごめんなさい……今日付き合って、って言ったのは私なのに……」
「もう、そんなこと気にしなくていいってばー」
 うなだれるポエ。心なしか、背に生える純白の翼もうなだれているように見えた。
 ノエルはそんな彼女の姿を見て、苦笑いを浮かべるしかなかった。そんなに気にしなくてもいいのにと、思う。彼女はどこか考えすぎる部分がある。
 ふと、向かい風が吹いた。二人の髪が翻り、ポエの背の翼と、ノエルの羽の耳を揺らす。
 風で乱れた髪を直しながら、視界に入った友人の羽の耳が気になり、少しだけ視線をずらす。
 ――……〈鳥の子〉かぁ。
 彼女――ノエルは、人と鳥の間に生まれた子供である〈鳥の子〉と呼ばれていた。今では少なくなってしまった存在。この里にはノエルを含めて十人ほどが暮らしているが、顔を見たことはあまりなかった。
 彼女との出会いもまた、不思議なものだった。今ではこうして一緒に〈街〉へ来たり、遊んだりしているが、それもここ最近のこと。出会う前は、それこそ顔も、名前も知らなかった。
 〈鳥の子〉は本来、背中に生えるはずの翼が無く、何故か耳が羽に変化する。それが何故かは分からない。この〈里〉に住まう者と、少し異質な〈鳥の子〉の姿。
 生まれた時に、哀しい瞳を親から向けられたのを、ノエルは今でも覚えているのだと言う。
 だが、彼女はそんなことは気にしていないようで、いつも明るく、元気な笑顔を浮かべていた。
「……ん? どうしたの?」
 ポエの向ける視線に気付き、ノエルは首を傾げた。
 なんでもない、と言って視線を前に戻す。
「そういえば今日は何を買いに行くの?」
「ええと……絹の布と革紐と、装飾石、かなぁ」
 必要なものを、指折り数えながら言う。今のところ必要なものは三つだけ、だったはず。
「それじゃあ、まずは手芸店だね」
「うん」
 いつの間にか、茶色の土の道が舗装された白煉瓦の道に変わっていた。蔓草が煉瓦の隙間から延びて、緑色の模様を作っている。
 かつ、かつ、かつ、と二人分の靴音が響く。
「お店ってどこだっけ?」
「えっと……確か、もうすぐそこのはずだけど」
 そういえばあのお店に行くのも、久しぶりだ。
「……あ、あったあった!」
「あ、ちょっと待ってよーっ」
 急に駆けだしたノエルの後を、ポエは慌てて追いかける。一つ、二つと並ぶ建物を通り過ぎて、ノエルはある建物の前で足を止めた。
 そこは白い煉瓦に、艶やかな布の装飾が玄関を彩っていた。先に目的のお店に到着したノエルは、ポエを待たずして早々とドアを開ける。からん、と来訪者を店主に告げるベルが鳴った。
「いらっしゃい」
 店内の奥。カウンターに座って本を読んでいた女性が、ベルの音を聞いて顔を上げた。
 扉を開けた小さなお客さんを見て、ふっと微笑む。
「おや、ノエルちゃんじゃない」
「こんにちは、アゼイリアさん。お久しぶりです」
 ノエルは女店主――アゼイリアに声をかけて、店内に足を踏み入れた。
 天井から下げられた色鮮やかな布。棚には様々な色の紐やたくさんの装飾石、ガラス玉。小さくカットされたはぎれの布などがきれいに並べられていた。
「今日は一人なのね」
 アゼイリアの問いかけに、ノエルは首を横に振る。
「違うよ。ポエも一緒に来たんだけど……」
「ノエル、速いよ……っ」
 話の途中で、遅れてきたポエが店に到着した。息を乱している彼女を見て、アゼイリアはくすりと微笑をこぼす。
「ふふ、追いかけっこでもしてたの?」
「うーん……違うような、そうとも言えるような」
「もう、違うよ。ノエルが先に走っていっちゃったんじゃない!」
「いつ見ても仲睦まじいわねぇ」
 アゼイリアは、開いていたページにしおりを挟むとそのまま本を閉じた。カウンターの脇にある本棚にそれをしまうと、改めて二人と向き直った。
 まだ扉の外にいたポエも室内に入ると、ぺこりと頭を下げてお辞儀した。
「こんにちは、アゼイリアさん」
「こんにちは。今日は二人揃ってどうしたの?」
 首を傾げる彼女に、ノエルは意気揚々とポエの肩を叩く。その突然の行動に驚いて、「ひゃあっ」と情けない声が出てしまった。
 その姿を見たアゼイリアは笑みを崩さず、ノエルはごめんと小さく謝罪した。突然のことに驚いただけなので彼女が謝る必要はないのだけれども。
「私はポエの付き添い」
「うん。ノエルは私の付き添いで、用事があるのは私だけで……」
 そう、今日はここに来るために街までやってきたのだ。
 アゼイリアの店は、この街に一つしかない手芸の品を取り扱うお店だった。世界から集めた生地や、加工した石、ガラス細工などを取り扱う。
「ま、じっくり選びなよ」
「はい」
 ポエは早速店内をぐるりと見渡して、向かって右側に並べられている布が置いてあるスペースに移動した。ノエルも、彼女から一歩後ろをついていく。二人を見送り、アゼイリアは本棚から先程読んでいたものとは違う本を手に取り、ページを開いた。
 ぱらぱら、とページをめくる音が物静かな店内に響く。
「何がいいかなぁ」
 幾重にも重なっている布は、それぞれに色合いも風味も違う。ちょうどポエが見ているのは淡い色合いが基調の布。ざっと数えて百はあるだろうか。
 その中で、すっと手を伸ばす。
 彼女が手に取ったのは、淡い紅色の絹布だ。
「素敵な色ね」
「うん」
 ノエルの言葉にポエは頷く。
 そういえばもうすぐ暖かくなる春の時期。この色はまさに春を告げる色だ。
「これと……」
 次に、反対側に置かれている紐と装飾石のスペースに移動した。
「うーん……どうしよう」
 透明な小皿の中に、たくさんの石。赤、青、黄、白……様々な色合い、形、大きさ、模様が違うそれは、きらきらしていてとても美しい。その一つひとつを手にとって見てく。
 その様子を、ノエルは後ろからのぞき見る。選び悩んでいる彼女の手には、数種類の装飾石がのっていた。湾曲した紅と白の模様の石。丸い緑青色と白色の石。四角のような、少しいびつな形をしている緑白色、紫色、透明な石。
「これ綺麗ね」
 そう呟きながら、ノエルは彼女の手から装飾石を取った。
「この、紅と白の模様の石?」
「うん。私は好きだなー。あと、この透明のも綺麗」
 にっと笑うノエルに、ポエもつられて笑った。
「この透明の石綺麗だよね。何にでも合わせられそう」
 会話をしながらも、ポエは幾つもの装飾石を吟味していく。選ぶのは大変で時間はかかってしまうが、その分、自分の好みのが見つかったときの喜びはひとしおだ。
「これにしよう」
 最終的に彼女が選んだものは、ノエルが好きだと言った紅と白の模様が入った湾曲した石。少しいびつな形をした透明な石。丸い緑青色の石の三種類だ。それ以外のものは元にあった場所へ戻し、選んだ三種類の石を数個手に取る。ついでにそばに置いてあった薄茶色の革紐も一緒に手に取ると、二人は女店主が待つカウンターへと向かった。
 二人の足音が近づいたことに気付いたのだろう、アゼイリアは本から視線を外して顔を上げた。
「お決まりのようだね」
「はい、お願いします」
 ポエは彼女の前に選んできた品物を置いた。
「どれどれ……へぇ、良いものを選んだねぇ」
「そうなんですか?」
 アゼイリアの言葉に、ポエは驚いた。目利きが良いか悪いかはともかくとして、そう言われるとなんだか照れくさい気分になる。
「そうだよ。結構ポエちゃんは良い目をしてる」
「あ、ありがとう、ございます……」
 重ね重ねの嬉しい言葉に、思わず口ごもってしまった。そんなポエの姿を見て、くすりと微笑むと「あなたも」とアゼイリアは続けた。
「ノエルちゃんもね。これとこれ、選んだのはあなたでしょう?」
 これ、と言って指差したのは赤と白の混ざった装飾石と、透明装飾石。まさしく、彼女が選んだものだ。
 これにはノエルも驚きの色を隠せなかった。目を丸くして、思わずアゼイリアに詰め寄る。
「えっ。何で分かったんですか」
「そうねぇ……何となくよ。ノエルちゃんはこんな色合いが好みかなーって思ってね」
 お茶目に片目をつぶるアゼイリア。
「でも、私は好みで選んだから良いか悪いかっていうのは、分からないです」
「そういうものよ」
「そうなんですか……?」
「ええ」
 なんだか、納得したようなしていないような。
「それで、これで全部でいいのかしら?」
「あ、はい」
 ポエはショルダーバッグから革袋を取り出すと、中に入っていた硬貨を数枚出した。
「はい、これ」
「ありがとう」
 アゼイリアに代価を渡すと、ポエはショルダーバッグに絹布をしまった。その間、アゼイリアは革紐と装飾石を小袋にまとめて入れる。ポエはそれを受け取るとバッグにしまった。
 これで、ここでの用事は終わりだ。
「それじゃあアゼイリアさん。また来ますね」
「ええ、また遊びに来てね」
「またねアゼイリアさん!」
 ポエとノエルは彼女に挨拶をすますと、玄関へと足を進めた。ノエルが先頭し、扉を開ける。からん、とベルが寂しく鳴った。
「またのお越しをお待ちしてます」
 柔らかいアゼイリアの声に見送られて、二人は店の外へと踏み出した。
「ポエ、次はどこに行くの?」
「えっとね…」


 ゴ――――ン……ゴ――――ン……ゴ――――ン……


 突然、鐘が鳴った。
 三回響いたその音に、ポエもノエルも、辺りにいた人々もざわめきが走った。
「こんな時間に鐘?」
 ポエは音が響いてきた方向へ顔を向けた。道のずっと先にある、大きな白い建物。そこには鐘があり、朝と昼と夕方の決まった時間に、時刻を報せる為の合図として二回鳴らすことになっている。
 今回の音は、三回。
「三回鳴ったってことは……集会?」
「どうしたんだろう?」
「分からないね……まあ、まずは行ってみようか」
 ポエとノエルは歩きだした。周りにいた人々も、二人と同じように足を進めている。
 向かう先はあの大きな白い建物。そこが集会場であり、一族の族長が住まう家でもある。
 歩いていく者、駆け足で急ぐ者。皆、向かう場所は一つであるのに、なぜだかポエは胸騒ぎを覚えた。それが何を意味しているのか、今は分からなかった。


 目の前に近づいてきた建物と、集まってきた人々。ポエとノエルは前に行くこともできず、ただ、その声だけを聞いた。

「我々は、〈渡り鳥〉として〈魂送たまおくり〉をすることになった」


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