「はぁー……」
ミーシャは深くため息をつき、船の上からアルセウス島を見つめていた。
――あの後、目を覚まさないラスクを町の診療所に預けて、ミーシャたちは船のある港町に向かった。街道沿いに歩いていくと二日ほど掛かってしまう距離だったのだが、<風流>を使い最短距離で行くことができた。
さすがに観光している余裕はなく、足早に港に向かった。
今日の定期便は二便あったが、そのうちの一便はすでに出航した後だった。
残るもう一便は、あと数分後に出航する船で。
ミーシャたちは慌てて船に乗った。
その行き先は……――――
「……それにしても、まさか行き先がクリオス大陸だとはな」
「どうして? 別にどこだっていいじゃない」
だから貴様は……と、ラシュウは嘆息を吐いた。
そんなこと言われても、知らないのだからしょうがないじゃないか。内心呟くミーシャをよそに、ラシュウは眉を顰めながら問いかけてきた。
「貴様、あの大陸がどんなところなのか知っているのか?」
彼の問いに、ミーシャは否と答えた。
名前は聞いたことはある。クリオス大陸は世界の南に位置する、海に囲まれた大陸だ。
しかし知っているのはそれだけであって、その大陸がどんな場所であるかは知らないのだ。
「つくづく阿呆な奴だな」
……嫌味しか言えないのだろうか。
なんて口が裂けてもいえるはずがなく。ミーシャは口を開くことなく彼の言葉を聞く体勢になる。
「いいかクリオス大陸といえば、古代の文明がそのままの状態で残っている歴史ある大陸だ」
ラシュウは海の方を見ながら言った。
大海原は波もなく静かだった。船に揺られる感覚は今のところ感じない。
「ルシファーナ大陸にも古代文明の残る場所はあるが、クリオス大陸は……大陸自体が古代文明だと思っていい」
ふーん、と納得するものの、ミーシャの頭の中では一つの疑問が浮かんでいた。
それを彼に聞いてもいいものか……聞いたら聞いたで、後が怖いのだが。
「あのさ……」
「なんだ」
ミーシャは叱られるのを覚悟で聞いてみた。
「……クリオス大陸とかルシファーナ大陸って……どこにあるの?」
呆れたと言わんばかりに、ラシュウは顔を手で覆い隠すと同時に大きなため息を吐いた。
ぎろり、と指の隙間から覗く瞳が睨みを利かせていた。こ、これだから聞くの嫌だったのに!
「貴様……地理の勉強でもしておけ」
ぷくっと頬を膨らませたが、反論はしなかった。
ここで反論しようものならさらに彼の苦言が飛ぶ。それだけは避けたい。
ミーシャが黙りこくっていると、ラシュウはふよふよと宙を浮きながら顎に手を添えた。なにやら考え込んでいる様子に、小首を傾げる。
「……うむ、地図がいるな……地図……地図……」
地図、というとあれか。世界地図のことだろうか。
しかし現在そのようなものを持っているはずもなく。地理の勉強もできないわけで。
彼は呪文のように呟いていると、ふと何か思い当たったのか、手の平をミーシャの前に突き出した。
「――その姿、我の前に現せし風の
唱え始めた言霊は、力のあるもの。
彼が風の呪文を唱え始めると、穏やかだった風が急に鋭さをはらんだ。無色透明だったそれは、瞬時に薄緑色に染まる。
その風が、ラシュウの手の平の前でだんだん一つに集まっていく。それは紙のように薄く平べったい、長方形の形を取った。
さらに呪文は続く。それに呼応するかのように細かく文字が、さらに幾つもの絵が浮かび上がってきた。
完成したそれは、風で作られた世界地図だった。
「おぉ! すごーい!!」
目の前で起こった出来事に、感嘆するミーシャ。
しかしそれを見たラシュウは鼻で笑う。
「こんなのできて当たり前だ」
勝ち誇ったように言い切るラシュウを見上げる。
何だかんだ言って、こういったことをしてくれる彼は優しいと思う。きっと強気な口調になるのは照れからくるものだ。
勝手に解釈するミーシャに気付いていないラシュウは、世界地図を片手に説明を始めていた。
「――……で、今光っているところがあるだろう? そこがクリオス大陸だ」
地図の左下を指差す。
上を北と見て、南西の方角だろう。文字と絵が点滅している大陸があった。クリオス、と書いてある。
よくよく見るとクリオス大陸の周辺の海域にも、細かく海名が刻まれていた。――な、なんて細かいっ!
「それで……こっちがルシファーナ大陸」
クリオス大陸の北にある大陸が光りだした。
一つの横長い大陸のうち、山脈を境としているのか左側にある所だけが光っていた。そこをルシファーナ大陸、運河を境に右側をワラナ大陸だと教えてくれた。
「このワラナ大陸の北にあるのがカーロス大陸。東にあるのがロウス大陸」
順番に点滅する大陸を目で追いかけて、彼の説明が終わると光は消えた。
全ての大陸を教えたところでラシュウは地図を消した。ふわりと風が四散して、海風が頬を撫でた。
「で、本題に戻るぞ。そのクリオス大陸には古代から住まう民族がいるんだ」
「民族? 私たちみたいな?」
ミーシャは風の民と呼ばれる民族の者だ。
世界のどこかにあるといわれている隠れ里に住んでいるという噂が世界中に流れている。ミーシャからしてみればその隠れ里の出身であり、その場所を知っている為、その噂を耳にした時は実感が持てないでいた。
今では噂を気にせず旅をしている。
「んー……ちょっと違うけどな。……まぁ、似たようなものだ」
腕を組んで、彼は見えるはずのないクリオス大陸を凝視した。
「あそこは……あまり好きではないな…………」
「……」
ラシュウの瞳は、どこか遠くを見ているようだった。果てしなく遠い、この場所ではないどこか彼方へと向けられているようなそれは……どこか悲しげだった。
「……まぁ、行ってみる価値はあると思うよ。だって古代文明が残ってるんでしょう? わくわくしちゃうよ」
ミーシャはにっこりと笑って、何だかしんみりとしてしまった場を和ませようとした。
どうしてそんなことをしたのか分からないが、ラシュウの悲しげな表情を、これ以上見たくはなかった。
冷たい緑色の瞳は、いつの間にかいつもの緑色に戻っていた。
「――貴様……本当に阿呆だな」
苦笑しながら言った彼は、苦笑を浮かべる。
「あ、阿呆じゃないもん!!」
「いーや、阿呆だ! この世間知らずのじゃじゃ馬娘がっ!」
さすがに最後のは言い過ぎだろう、と思ったミーシャであった。
けれども、ラシュウが笑っていたので……よしとしよう。