ミーシャとラシュウは<
町に向かう途中に馬車と何回かすれ違ったが、ぶつかることは無かった。それぐらいこの道は広かった。
二、三時間歩き続けて、彼女たちは町へと着いた。レンガ造りの建物が連なる田舎町。西には森、北には平原が広がっている。
休憩をとらずに歩き続けていたので、体力にはまだ余裕はあったが、一旦、喫茶店で休むことにした。
ラシュウは「俺は疲れていないから、散歩に行ってくる」と言い残して空へ。いつもの空中散歩だろう。
その後休憩を終えたミーシャは、店という店に入っては時間をかけていろいろな物を見て回った。
「何だ、それ?」
道を歩いていたミーシャに合流したラシュウは、彼女の手の中に見たことのないものがあるのに気がついた。
それは、銀色に輝く金属製の管に鍵装置が施されていた。鈍い金属の煌きがどこか高価な匂いを漂わせている。
「これ? フルートっていう楽器だよ」
持っているそれ……彼女曰くフルートを、見えるように彼に向けた。
「ふるーと?」
「そこのお店で売ってて……一目惚れしたから買ってみた」
ぴくり、と何かに反応したラシュウが眉をひそめた。
「貴様……いくら使ったんだ?」
彼の問いかけに、ミーシャは思わず肩頬を引きつらせた。
「…………それ、は……」
言葉がよどむ。大きな目を左右に泳がせて目を合わせないミーシャにラシュウはふつふつと怒りが湧き上がっていくのを感じた。
彼女がこのように言いよどむ時は、大抵以前にも同じことをした時だ。今回も、たぶん――たぶんではなく、絶対というべきか――以前と同じことをしたはずだ。
「……貴様、大金を投じたな……っ!」
「えっ? そ、そんな大金じゃないよ。だって六万五千ロセスだったも……」
――――ああっ!!
慌ててミーシャが口元を手で覆うが、口を滑らせたのに今更覆っても意味がない。
ラシュウの目つきが一気に険しくなった。
「今……六万五千ロセスと言ったな?」
「えっ!? えぇ〜、そんなこと言ったかな〜」
ミーシャの青い目が空を泳ぐ。あちらこちらへ目を泳がせていたのもつかの間、ラシュウが怒号を上げた。
「無駄金を使うな!」
「……無駄金じゃないもん!!」
ラシュウの怒声にミーシャは威張り返す。しかし彼は、ふんと鼻を鳴らした。
「だいたい……それを吹けるのか?」
ラシュウが、フルートを指差しながら言った。
「……ふ、吹けますよ!」
再び威張るミーシャだが、声が上ずっていた。
言葉とは裏腹に心の中では吹けないと叫んでいる。吹いたこともないのに吹けるはずがない。
「それじゃあ、吹いてみろよ」
ラシュウの唐突な発言に、ミーシャは自分の心臓がバクバクと激しくなったのを感じた。
「えっ!?」
思わずうわずった声を上げてしまった。
それを見たラシュウは勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。
「えっ、じゃない、吹けるのだろう? それなら吹いてみろ」
それなら俺も納得する、と最後に付け足した。
――無理だよ! こんなの吹いたことないしっ!
胸中で叫びまくるも彼に届くはずがなく。
しかしそれもお見通しなのか、彼はただただ口を笑みにかたどるだけ。
「無理なのか?」
「うっ」
――図星だ。ミーシャは顔全体を引きつらせて、後ずさる。
「無理なんだなー……」
はぁーと、ラシュウが嘆息を吐く。
――呆れる奴だ。吹けないものをなんで手に入れるのだろう。ラシュウは胸の内で悲観する。
「む、無理じゃないもん! 頑張ればできるよ!」
「頑張れば、の話だろ? 貴様には無理だな」
切羽詰ったミーシャの反論も、ラシュウにあっさりと否定されてしまった。
「里でもそうだったろう? 楽器を買ったはいいが、吹けずにそのまま」
「そ、それは……」
続いた言葉にミーシャは何も返せない。
――――本当のことだから仕方のないことなのだが。
まだ旅をする前、里にいたころも幾つか楽器を持っていた。
興味本位で手にとっていった楽器。しかしその楽器も長続きはしなかったのだ。
木々の葉が、風に揺れて音が鳴る。暖かみのあるその風は田舎町を通り抜け、海へと渡る。
その風が、優しく少女の頬をなでた。
「――……もん」
ミーシャが呟く。誰にも聞こえないような小さな声で。
――…………絶対に吹けるもん。
そう、心に誓うミーシャだった。
「……ところでよう」
「なに?」
ぶすくれた物言いだったが、ラシュウは特に気にした素振りも見せずに話を続ける。
「いつまでここに滞在するんだ? 海を渡るんだろう?」
――そういえば、すっかり忘れていた。
ミーシャたちが今いるこの町はアルセウス島という島の中にある。北にはエリス海があり、その海を渡るとワラナ大陸がある。
「そうだね……今日はこの町に泊まって、明日に平原を渡って港町に行こう」
一人頷くミーシャ。
「泊まるのか?」
「うん。なんで?」
ラシュウがミーシャの眼前に飛んでくる。そして、遠くを指差しながら言った。
「今日行けば、平原の半分は越えられるだろう。野宿してそのまま港町まで行けば早くないか?」
確かに、と心の中で思う。この先の平原地帯はそれほどの広さはない。今からこの町を出て<風流>を使えば平原の半分は越えることができるだろう。
しかし彼の言葉は簡単に却下された。
「だって野宿はいや」
ミーシャがそっぽを向く。
彼女の短く端的な言葉に呆気にとられたラシュウだが、すぐに我に返った。
「野宿はいやか。……まぁ、いいけど」
ラシュウは少し考えて、ふわりと舞い上がった。
それに気づいたミーシャが首を傾げる。
「どこ行くの?」
「どこでもいいだろ」
少し静かな場所に行くだけだ、と最後に付け足して快晴の空へ飛んでいった。
小さな雲がぽつぽつと流れていて、ラシュウの姿はすぐに見えなくなった。
「もぉ、自分勝手なんだから」
――人のことは言えないけど。でも、ラシュウは自分より自分勝手だ、と勝手に考えた。
そして、ミーシャはレンガ造りの町並みを横目に見ながら、町の中心部に向かって歩みを進めた。
太陽が真上を少し過ぎた辺りに、ラシュウがミーシャのもとに帰ってきた。
二人は近くにあったレストランで遅めの昼食をとり、午後も町の中を歩いた。
店を見ながら今夜泊まる宿を探す。午前中にも宿探しは行っていたのだが、どの宿も宿泊賃が高くて無理だった。
というのも、ミーシャがフルートを買ったのでお金が無くなったというのもあり、安い宿でも高く感じてしまうのだが……。
「まったく……無駄金を使いやがって」
「だーかーらー。無駄金じゃないってば!」
レンガの町並みが、日の暮れる太陽に照らされて赤みがかる。ミーシャの髪もラシュウの髪も、徐々に赤く染まりつつあった。
歩きながら言い合う二人。通りには人気がなく、二人を除いては一、二人しか歩いていなかった。
「あのなぁ、いちいち無駄な買い物をするのがいけないんだ!」
「無駄な買い物でもないよ。これは、これから役に立つの」
ふんっ、と鼻を鳴らしながら言った。
それでもラシュウは険しい顔のままミーシャを睨みつける。
「これからっていうのは、いつなんだよ」
「これからはこれからよ! こ・れ・か・ら!」
「はっ。これから役立つんだったら、今も役立つだろうが」
愚痴にも似た言葉に、ミーシャの心の中で何かが弾けた。
「もう! ラシュウのバカ!」
ミーシャの怒号が、その場に轟いた。
ラシュウは両耳を手で押さえながら、ミーシャから逃げるように空へ舞い上がった。すぐに視界から消えてしまった緑色の姿を睨み続けて、ふいっと顔を背けると溜息を吐いた。
ふわりとした穏やかな風が吹き、この場を通り過ぎる。
一人しかいなくなった場所で、ミーシャは呟いた。
「私だって、苦手なものはあるけど……吹けるもん……」
言葉では言える。しかし心のどこかで、もしかしたら無理なのでは、という諦めもあった。
本当に出来るかどうかは……――――