一話 笛の音響く風の音 1

 ミーシャとラシュウは<風流(ふうりゅう)>で崖を降りた後、町へと続く一本の道に降り立った。土で固められて造られた道は、とても歩きやすかった。
 町に向かう途中に馬車と何回かすれ違ったが、ぶつかることは無かった。それぐらいこの道は広かった。
 二、三時間歩き続けて、彼女たちは町へと着いた。レンガ造りの建物が連なる田舎町。西には森、北には平原が広がっている。
 休憩をとらずに歩き続けていたので、体力にはまだ余裕はあったが、一旦、喫茶店で休むことにした。
 ラシュウは「俺は疲れていないから、散歩に行ってくる」と言い残して空へ。いつもの空中散歩だろう。

 その後休憩を終えたミーシャは、店という店に入っては時間をかけていろいろな物を見て回った。





「何だ、それ?」

 道を歩いていたミーシャに合流したラシュウは、彼女の手の中に見たことのないものがあるのに気がついた。
 それは、銀色に輝く金属製の管に鍵装置が施されていた。鈍い金属の煌きがどこか高価な匂いを漂わせている。
「これ? フルートっていう楽器だよ」
 持っているそれ……彼女曰くフルートを、見えるように彼に向けた。
「ふるーと?」
「そこのお店で売ってて……一目惚れしたから買ってみた」
 ぴくり、と何かに反応したラシュウが眉をひそめた。
「貴様……いくら使ったんだ?」
 彼の問いかけに、ミーシャは思わず肩頬を引きつらせた。
「…………それ、は……」
 言葉がよどむ。大きな目を左右に泳がせて目を合わせないミーシャにラシュウはふつふつと怒りが湧き上がっていくのを感じた。
 彼女がこのように言いよどむ時は、大抵以前にも同じことをした時だ。今回も、たぶん――たぶんではなく、絶対というべきか――以前と同じことをしたはずだ。
「……貴様、大金を投じたな……っ!」
「えっ? そ、そんな大金じゃないよ。だって六万五千ロセスだったも……」
 ――――ああっ!!
 慌ててミーシャが口元を手で覆うが、口を滑らせたのに今更覆っても意味がない。
 ラシュウの目つきが一気に険しくなった。
「今……六万五千ロセスと言ったな?」
「えっ!? えぇ〜、そんなこと言ったかな〜」
 ミーシャの青い目が空を泳ぐ。あちらこちらへ目を泳がせていたのもつかの間、ラシュウが怒号を上げた。
「無駄金を使うな!」
「……無駄金じゃないもん!!」
 ラシュウの怒声にミーシャは威張り返す。しかし彼は、ふんと鼻を鳴らした。
「だいたい……それを吹けるのか?」
 ラシュウが、フルートを指差しながら言った。
「……ふ、吹けますよ!」
 再び威張るミーシャだが、声が上ずっていた。
 言葉とは裏腹に心の中では吹けないと叫んでいる。吹いたこともないのに吹けるはずがない。
「それじゃあ、吹いてみろよ」
 ラシュウの唐突な発言に、ミーシャは自分の心臓がバクバクと激しくなったのを感じた。
「えっ!?」
 思わずうわずった声を上げてしまった。
 それを見たラシュウは勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。
「えっ、じゃない、吹けるのだろう? それなら吹いてみろ」
 それなら俺も納得する、と最後に付け足した。
 ――無理だよ! こんなの吹いたことないしっ!
 胸中で叫びまくるも彼に届くはずがなく。
 しかしそれもお見通しなのか、彼はただただ口を笑みにかたどるだけ。
「無理なのか?」
「うっ」
 ――図星だ。ミーシャは顔全体を引きつらせて、後ずさる。
「無理なんだなー……」
 はぁーと、ラシュウが嘆息を吐く。
 ――呆れる奴だ。吹けないものをなんで手に入れるのだろう。ラシュウは胸の内で悲観する。
「む、無理じゃないもん! 頑張ればできるよ!」
「頑張れば、の話だろ? 貴様には無理だな」
 切羽詰ったミーシャの反論も、ラシュウにあっさりと否定されてしまった。
「里でもそうだったろう? 楽器を買ったはいいが、吹けずにそのまま」
「そ、それは……」
 続いた言葉にミーシャは何も返せない。
 ――――本当のことだから仕方のないことなのだが。

 まだ旅をする前、里にいたころも幾つか楽器を持っていた。
 興味本位で手にとっていった楽器。しかしその楽器も長続きはしなかったのだ。

 木々の葉が、風に揺れて音が鳴る。暖かみのあるその風は田舎町を通り抜け、海へと渡る。
 その風が、優しく少女の頬をなでた。
「――……もん」
 ミーシャが呟く。誰にも聞こえないような小さな声で。
 ――…………絶対に吹けるもん。
 そう、心に誓うミーシャだった。
「……ところでよう」
「なに?」
 ぶすくれた物言いだったが、ラシュウは特に気にした素振りも見せずに話を続ける。
「いつまでここに滞在するんだ? 海を渡るんだろう?」
 ――そういえば、すっかり忘れていた。
 ミーシャたちが今いるこの町はアルセウス島という島の中にある。北にはエリス海があり、その海を渡るとワラナ大陸がある。
「そうだね……今日はこの町に泊まって、明日に平原を渡って港町に行こう」
 一人頷くミーシャ。
「泊まるのか?」
「うん。なんで?」
 ラシュウがミーシャの眼前に飛んでくる。そして、遠くを指差しながら言った。
「今日行けば、平原の半分は越えられるだろう。野宿してそのまま港町まで行けば早くないか?」
 確かに、と心の中で思う。この先の平原地帯はそれほどの広さはない。今からこの町を出て<風流>を使えば平原の半分は越えることができるだろう。
 しかし彼の言葉は簡単に却下された。
「だって野宿はいや」
 ミーシャがそっぽを向く。
 彼女の短く端的な言葉に呆気にとられたラシュウだが、すぐに我に返った。
「野宿はいやか。……まぁ、いいけど」
 ラシュウは少し考えて、ふわりと舞い上がった。
 それに気づいたミーシャが首を傾げる。
「どこ行くの?」
「どこでもいいだろ」
 少し静かな場所に行くだけだ、と最後に付け足して快晴の空へ飛んでいった。
 小さな雲がぽつぽつと流れていて、ラシュウの姿はすぐに見えなくなった。
「もぉ、自分勝手なんだから」
 ――人のことは言えないけど。でも、ラシュウは自分より自分勝手だ、と勝手に考えた。
 そして、ミーシャはレンガ造りの町並みを横目に見ながら、町の中心部に向かって歩みを進めた。




 太陽が真上を少し過ぎた辺りに、ラシュウがミーシャのもとに帰ってきた。
 二人は近くにあったレストランで遅めの昼食をとり、午後も町の中を歩いた。
 店を見ながら今夜泊まる宿を探す。午前中にも宿探しは行っていたのだが、どの宿も宿泊賃が高くて無理だった。

 というのも、ミーシャがフルートを買ったのでお金が無くなったというのもあり、安い宿でも高く感じてしまうのだが……。
「まったく……無駄金を使いやがって」
「だーかーらー。無駄金じゃないってば!」
 レンガの町並みが、日の暮れる太陽に照らされて赤みがかる。ミーシャの髪もラシュウの髪も、徐々に赤く染まりつつあった。
 歩きながら言い合う二人。通りには人気がなく、二人を除いては一、二人しか歩いていなかった。
「あのなぁ、いちいち無駄な買い物をするのがいけないんだ!」
「無駄な買い物でもないよ。これは、これから役に立つの」
 ふんっ、と鼻を鳴らしながら言った。
 それでもラシュウは険しい顔のままミーシャを睨みつける。
「これからっていうのは、いつなんだよ」
「これからはこれからよ! こ・れ・か・ら!」
「はっ。これから役立つんだったら、今も役立つだろうが」
 愚痴にも似た言葉に、ミーシャの心の中で何かが弾けた。
「もう! ラシュウのバカ!」
 ミーシャの怒号が、その場に轟いた。
 ラシュウは両耳を手で押さえながら、ミーシャから逃げるように空へ舞い上がった。すぐに視界から消えてしまった緑色の姿を睨み続けて、ふいっと顔を背けると溜息を吐いた。
 ふわりとした穏やかな風が吹き、この場を通り過ぎる。
 一人しかいなくなった場所で、ミーシャは呟いた。

「私だって、苦手なものはあるけど……吹けるもん……」

 言葉では言える。しかし心のどこかで、もしかしたら無理なのでは、という諦めもあった。
 本当に出来るかどうかは……――――

BACK : TOP : NEXT

<初稿:04/01/??/改稿:08/05/27>