どんっ! と激しい音がした。
背中から落ちたからか、下半身が妙に痺れている。お尻がひりひりする。
それよりも、背中に激痛が走り、一瞬だけ意識が飛んだ。
「……ったい」
呟いた。呟いたから、まだ自分は生きているんだろう。というか、生きていなきゃ、こんな痛みは感じないか。
などなど色々なことを心の中で呟きながら、ミーシャは瞼を上げた。
「……ぁ」
視界に、光の穴が見えた。
――否、あれは穴ではなく、大地の裂け目だ。あそこから自分は落ちてきた。
高さはたぶん五メートルぐらい。よくあんな所から落ちて死ななかったものだ……。
「…………あれ、そういえば、ラシュウはっ!?」
はっと我に返り、ミーシャはバネのように跳ね起きた。
のだが、足場が悪かったせいか、足元がふらついて、転んだ。
「きゃっ」
「ぶっ」
二つの声が重なって聞こえた。
ミーシャは思いっきり地面に顔をぶつけた。
「は、鼻が、つぶれる……」
涙目になりながらも左手で鼻を押さえる。どうやら今日は厄日のようだ……。
そう思いながら立ち上がろうとする。
「……重いから、早くどけ」
聞きなれた声が響いた。
驚いたミーシャが慌てて声のした方向――自分の体の下――へ視線を向けると、見慣れたバンダナが体の下からはみ出ていた。
ぎょっと目を丸くしたのも束の間、慌ててミーシャは体を上げると、ものの見事にラシュウがつぶれていた。
「あ、ごめんっ」
「ったく、貴様という奴は!」
額に青筋をたてながら、むっくりとラシュウは起き上がる。服や髪から砂埃が舞った。
「まったく……重いな、貴様は!」
「んな! 重くないよ!!」
重いだなんてデリカシーがないのか!
頬を膨らませて怒り返すと、ラシュウも目くじらを立てて怒鳴ってきた。
「重い重い重い。 俺にとって貴様は重い!」
「うっ……」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
人間と精霊とでは、体型から違う。ミーシャの身長の約半分くらいしかないラシュウにとって……まあ、つまり重いのだ。
「……そういえば、何でラシュウは私の下にいたの?」
落ちる前は目の前にいた。
手を伸ばして、届かなくて、自分は落ちたのだ。
ラシュウはその問いには答えず、そっぽを向いた。
「そんなことはどうでもいい。まず、ここから出るのが先だ」
「う、うん……」
彼の言葉に、ミーシャは立ち上がった。転がっている杖と荷物を持ち、再び上を見上げる。微かに、風が流れた。
「……<
杖を振り、一度地面を突く。辺りに広がっていく風を感じながら、ミーシャは杖をかかげた。
広がった風がミーシャを中心に円を描くように集まってくる。その風が、今度は糸のように細く繊細なものに姿を変え、地面を走る。
一瞬にして、少女の足元に魔方陣が描かれた。
「よしっ!」
言葉と同時に風が少女の足元で渦をつくる。
「この高さなら、いける!」
ぶわりと<風流>の波が広がった。地面を蹴って宙に身を躍りだす。
そのまま、大地の裂け目から外へ出ようとした。
「……きゃあ!」
外に出る為の裂け目を通ろうとした瞬間、何かにぶつかった。
「おいっ!?」
ぎょっとして、ラシュウは慌ててミーシャの体を包み込むように風を放つ。
<風流>の力を失ったミーシャは、何とか地面に落下することは無かった。ゆっくりと地面に腰を下ろしたミーシャは、しかし先ほどの衝撃がまだ体中を走っていた。
「ったいー……」
「大丈夫か?」
とりあえず怪我はしていない。
怪我をしなかったのも、ラシュウが咄嗟に風を飛ばしてくれたからだろう。
「なんとかね……ありがとう」
「気にするな」
そう言って、ラシュウはミーシャが今出ようとしていた裂け目に近づいた。
寸前のところで止まり、手を伸ばす。
「……っ!?」
バチッと、弾かれた。指先がひりひりと痺れる。
「……」
何か、ここには壁がある。いや、壁というよりも、結界に近いか。
「ね、ねぇ、ラシュウ……。もしかして、出られないの?」
「……そうみたいだ」
背後で、ミーシャが落胆したのを感じた。
ラシュウは裂け目を睨みつけ、身を翻した。ふわりとミーシャの隣に舞い降りる。
「どうしようー……出口が無いー」
「あのなぁ。そんなくだらんことを言ってないで、周りをよく見ろ」
ラシュウは怒りとも呆れともいえない複雑な表情を作り、ため息を吐いたミーシャに言った。
「え? ……って、何これ!?」
周りを見渡したミーシャは、驚きのあまり腰を抜かした。
先程までは気が付かなかったが、周りを良く見ると、柱や像が倒れていた。太い柱はいまだ健在だが、所々ひびが入っていたり、蔦が巻いていた。
壁には何かの模様が刻まれていた。それは獣であったり、植物であったり、文字であったり、人であったり。
「神殿のようだな……。大抵は地上にあるが……ここは一体……?」
壁画を見渡していたラシュウは、途中でその目が止まった。
「どうしたのラシュウ? ……あ、これってメヴィース神とホルノス神?」
二人の視線の先にある壁には、槍を持った女と長い杖を持った男が描かれていた。
「おばあちゃんに教えてもらったんだけど、あんまり覚えてないなー」
ミーシャはあははと苦笑する。
槍を持った女は、炎と地を司り、この世界に<大地>と<森林>を創った<武>の神、メヴィース。
杖を持った男は、風と水を司り、この世界に<空>と<海>を創った<知>の神、ホルノス。
「……行くぞ」
「え、あ……うん」
ラシュウは壁画から目を逸らすように身を翻した。その後を追うようにミーシャも歩きだす。
「ねぇ、行くってそこに?」
「どこにって……出口に決まってんだろ」
はぁ、とラシュウは嘆息を吐きながら、前方を指差した。その指を追って、ミーシャの視線がそちらに向く。
「……んー、先は長いかもー」
二人の視線の先には崩れた扉の瓦礫が山になっていた。そして、その先は闇へと続いている。
「先は長くても、行くしかないだろう」
「だよねぇ……」
一言二言話して、ミーシャは杖を前に向けた。
「一応聞いておくけど、アレ吹き飛ばしていいでしょ?」
「……どーぞお好きなように」
ほぼ棒読みのラシュウの言葉に、ミーシャはほくそ笑む。
「――――我が声に応えし風よ! その力、我に貸し与えたまえ!」
呪文の詠唱を始めて、不自然に翻るミーシャの髪。風の波動が静かに、そして激しく広がる。
風の杖が周囲の風気を集める……静かに、静かに……そして、風が集まった。
「<
ミーシャの杖から放たれた風の波動が、崩れた扉の瓦礫を舞い上げ、吹き飛ばしていった。
山のようにあった瓦礫はほとんどが飛ばされてしまい、後に残ったのは砂埃だけだった。
「けほっけほ……まったく、埃だらけね」
「……少しは後先考えろよ」
少し風を起こして埃を払うミーシャに対して、ラシュウは低く呟いた。
だが、ぱたぱたと服についた砂埃を払うのに意識が集中していたからか、ミーシャの耳に彼の言葉は届かなかった。
「さてと、行きますか」
カツ、カツ、カツ……。
神殿内を、靴の音が響き渡る。
「暗いねー……」
「仕方ないだろ。……まだ火があるだけマシだと思え」
暗闇の廊下に火の玉が一つ。そして、人間が一人と
「でも暗い……」
「我慢しろっ」
ミーシャの言葉に、半ば呆れながらもラシュウは反論した。
彼の手の中にある火。火というものは、ある物質が空気中に含まれる酸素と化合し、熱や光を伴って燃焼する現象だ。とにかく酸素があれば火は燃え続ける。
そして、燃え続けるためには媒体が必要だ。
木片を燃やして媒体をつくり、それを風の玉で包み込む。これで、風の玉に入っている火種は消えることは無い。
そして、手で運ばなくてすむので、松明のように火種を変える必要も無い。
だが、それにも短所というものがある。
この場合、火はラシュウの操る風の中にあるため、火を大きくすることが出来ないのだ。
酸素を減らせば火は小さくなるが、風の玉の中にこめられる酸素の量にも限度があるので、一定以上の大きさにすることが出来ないのだ。
「それにしてもさー、ここって何の建物なんだろう?」
少女の呟きが廊下内に反響する。ラシュウはゆっくりと視線を向けた。
「神殿なのはともかく、なんで地面の下にあるんだろう……」
「……さぁな」
ミーシャの問いには答えられず、ラシュウはそう呟いた。
長い長い廊下はまだ続いている。これだと、廊下というよりは通路に近い気がする。壁には、ミーシャたちのいたあの場所の壁に似たような模様が刻まれていた。
だが、そこに刻まれているのは、殺戮の生き物たちの惨状だ。神の殿、というよりは、魔の殿、という感じだ。
「なんか変な感じがする……」
「…………門?」
壁を見ていたミーシャは、ラシュウの言葉に目を前へ向けた。
数十メートル離れた先、廊下が終わり、門が存在していた。黒光りする門は、怪しげな雰囲気をかもし出している。
そしてその門には、双頭の龍が口を開けて炎を吹いている絵が全体に刻まれていた。
「……」
「……怪しすぎる」
門の前まで歩いていき、ミーシャではなくラシュウが呟いた。
「でも、道はここ以外に無いよね……」
「……仕方ないな」
「よし、それじゃあ行こうか」
元気よく言って、ミーシャは門に手をかけた。
これから起こる、偽りと真実の劇を知らぬまま……風の民の少女はその門を押し開けた。
「――――そろそろ、来る頃だと思ってましたよ」