町を出て、二人は森の中へ足を踏み入れた。
覆い茂る木々の葉が太陽の光を遮り、暗い森が一層暗く感じられる。
「……なんか、ホントに古代って感じ……」
ミーシャは呟いた。そして辺りを見回す。
まるで、古代の森とでも呼ばれていそうなこの場所に生えている木々。
幹の太さはゆうにミーシャの何十倍もの大きさがあった。地面を這う根の太さも彼女の四、五倍はあるだろう。
目の前を這っている木の根に手を乗せて跳びのり、そして跳び下りる。
先ほどからそれを何回も繰り返して足を進めていた。
「疲れる……お腹すいた……」
「……お腹すいたんだったら、メシ食えばいいじゃねぇか」
ラシュウの一言に、ミーシャは目を輝かせた。
「え、え、いいの!? ご飯食べていいのっ!?」
「あ、ああ」
ミーシャのオーラに気圧されながらもラシュウは頷く。
やったー、と少女は飛び跳ねながら、今飛び越えた木の根によじ登り、座る。
鞄から喫茶店で食べ損ねた――といっても、残り二つほど食べたのだが――サンドイッチの入った箱を取り出した。
「いっただっきまーす」
ぱくっと一口。
ハム、野菜、卵、野菜、ハムの順に挟んであるサンドイッチをほおばりながら、ミーシャはラシュウの方を横目で見た。
「……」
何を考えているのか。
空中で胡坐をかいて腕を組み、ずっと上のほうを見ている。
「…………」
ミーシャは手に持っているサンドイッチを一気に口の中へ放り込むと、ラシュウに思いっきり平手打ちした。
パチィンッ! と高い音が響く。
頬を打たれたらしゅうは半ば唖然としていたが、すぐに目つきが険しくなる。
そりゃそうだ。何の脈絡もなく平手打ちされたのだ。
「……何するんだっ!」
睨みつけられるといつも竦むはずなのに、何故か、今はそんな気がしなかった。
何故か気持ちが落ち着いている。
「なんか、最近のラシュウ、変だよ」
ミーシャの言葉に、ラシュウははっとして目を丸くする。
「船の上からずっとだったけど……最近は特に変! ……どうしたの? 何かあったの?」
何かあったのなら話してくれればいいのに。
何も言わないラシュウに、もどかしさばかりがつのる。
「……貴様には、関係ない」
「関係ないなんて言わないで!」
ラシュウの言葉にミーシャは声を荒げた。ラシュウは表情を変えず、目だけを逸らす。
「変だよ……絶対に、変だよ……」
今にも泣きそうな震える彼女の声に、ラシュウはぎゅっと目を瞑る。まるで、痛みをこらえるように沈痛な表情をつくった。
「…………関らせたく、ないんだ……」
その呟きがミーシャの耳に届くことはなく、風に吹かれる木々の葉擦れの音に掻き消えた。
木々のざわめく音だけが、ただ二人を包み込む。
※
「……行こっか」
そう言って歩き始めたのは十分も前のことだ。
あれ以来、ミーシャもラシュウも口を開けることはなく、黙々と足を進めるだけ。
聞き慣れない鳥の声が森の中に響き渡る。例えるなら、カラスの鳴き声を高くした感じだろうか。鼓膜を突き刺すように鋭い。
「ふぅ……」
顎に滴る汗を手で拭う。涼しい風が吹き抜けるが、湿っぽいこの場所を歩き続けているからか滴る汗は止まらない。
「……なんか、変じゃない?」
疑問の言葉が含まれていたことに、ラシュウは視線をミーシャに移した。
「何が変なんだ?」
「生き物が……いない……?」
彼女の言葉にラシュウは首を巡らした。
……確かに、先ほどから生き物の姿を見ていない。
「この土地は何百年も前から姿を変えず、ここに生きる生き物たちも姿を変えずに、住処を変えずに暮らしてきたはず……」
何故、いないんだ?
……いや、これは――……
「……隠れている、のか?」
≪――――……シュウ、ラシュウ!≫
突然響いた女の声に驚いてラシュウは空を見上げる。
直接鼓膜を刺激する風。聞き覚えのある声に、はっとした。
「! ……風神か!?」
風に乗り、風神の声が流れてきた。
「ラシュウ?」
「静かにしろ。……今、<
<風信>というのは、風の流れに自分の声を乗せて、その声を伝えたい相手に送る技だ。どんなに遠く離れた場所でも、風が流れている場所なら声を送ることができる。
そして今、風神がどこからか<風信>を使ってラシュウに言葉を送っているのだ。
≪今すぐにその土地から離れろっ。その土地は――――≫
「…………風神?」
途中で、風神の声が聞こえなくなった。
まるで、何かに遮断されたかの如く、突然に。
「……おい、早くここから出るぞ」
急に風神の声が聞こえなくなったのはよく分からないが、神が知らせてきたということは、この土地から早く離れた方がいいのだろう。
生き物がいない。それだけでも不安なのに、風神の台詞でさらに不安が増した。
「え、なに?」
あらぬ方を向いて歩いていたミーシャは、ラシュウの言葉に振り返る。
止まることなく進めていた足を、一歩踏み出した。
その瞬間、ミーシャとラシュウは目を丸くした。
「きゃぁあ!!」
「ミーシャ!」
突然、少女の足元の地面が崩れた。ぐらりと体が傾き、地面の中へ吸い込まれるように消えていく。
空を駆け、ラシュウは腕を精一杯伸ばした。それに気づいたミーシャも、腕を伸ばす。
だが、僅かに二人の指先は空を切っただけだった。
「くそっ!」
ミーシャの消えた大地の裂け目に向かって叫び、ひらりと舞うようにラシュウはミーシャの後を追うようにその中へ入っていった。
「――……遅かったか」
けぶるようにして現れた風神は、吐くように呟いた。
「……」
見つめる大地の裂け目から微かに風が吹き出している。
これは、普通の風ではない。
「…………ラシュウ、お主は……」
風から伝わってきた声に、風神はただ空を仰いだ。