「…………っ!」
ばっとミーシャは目を開いた。一瞬息が止まって、額から汗が流れてくる。
「……やっと起きたか」
「…………ラシュウ」
目の前に心配そうな顔をしたラシュウが、胡坐をかいて座っていた。
「大丈夫か?」
「……うん」
額に浮かんだ汗を手でぬぐいながら、ミーシャは微笑んだ。その顔を見て、ほっとしたのかラシュウの表情がやわらかいものに変わる。
だが、その表情は一瞬だけであって再び硬いものに変わった。
「大丈夫なら、早くこの町から出るぞ」
…………えっ!?
唐突なラシュウの言葉に、ミーシャは驚きのあまりあんぐりと口を開いた。
「え、いきなり何を言い出すのっ!?」
「いきなりじゃねぇ。それに……」
そこでラシュウは一旦言葉を切った。
だが、彼がその先を口にすることは無かった。
「とにかく行くぞっ」
「ま、待ってよ! 行くって言っても荷物が……」
「もう持ってきてある」
ラシュウが立ち上がり、後ろに置いてあるものを見せた。
そこには宿に置いてあるはずのミーシャの杖や鞄が置いてあった。
――い、いつの間に荷物をっ!?
「風神が持ってきた。ん、違うな。風神に持ってこさせた」
ミーシャの心の中を読んだかのように、彼女の疑問をラシュウが答えた。
「ふ、風伯さまがっ!?」
驚愕の事態に頭の中が真っ白になる。
か、神様に荷物持ちをさせて……な、なんか、いろんな意味でラシュウが凄い人……じゃなくて、凄い
「貴様、何か良からぬことを考えていないか?」
「え、別に〜」
鋭い視線を向けてくるラシュウ。ミーシャはあらぬ方向を向いてそれを避ける。
「……まあ、それは置いておいてだ。早く荷物を持て。行くぞ」
「え、ちょっと、待って! 早いってばー」
ラシュウがふわりと宙に浮かび上がり、慌ててミーシャも立ち上がる。
多少よろめいたが、たぶん問題ないだろう。
杖と鞄を持ち上げ、足場の悪い廃墟から出る。改めて廃墟を見ると、もう何十年も使われていないような感じに見えてきた。
あれは、幻だったのだろうか……。
時とともに、この廃墟もいつかは消えてなくなってしまうのだろうか。
「……」
後ろめたい気持ちを心の奥にしまいこんで、ミーシャは歩き出した。
※
「……なんか、裏路地だったみたいね」
廃墟から出たはいいものの、道を覚えていなかった二人は当然のことながら迷ってしまった。
歩くこと二十分弱。
くねりくねった道を歩き続けて、やっとのことで大通りへと出ることができた。
二人は大通りを歩いている途中で喫茶店に立ち寄った。
テラスの一つのテーブルに近づき、イスに座る。注文を聞きにきた店員にサンドイッチとミルクティーを注文した。
数分後、注文の品を丸いトレーに載せて店員がやってきた。
サンドイッチの入った小さいバスケットのような箱、ミルクティーの入ったティーポットとカップをテーブルの上に置く。ミーシャは店員が来る前に用意しておいたお金を出して渡した。
それを受け取って、店員は店の中へ姿を消した。
「さ・て・と、お昼お昼♪」
ハムと卵を挟んだサンドイッチをつかみ、一口かじる。
「んー、おいしーよぅ」
「……」
ほけほけと笑うミーシャに対し、テーブルに座っているラシュウは厳しい視線を空に向けていた。
もくもくと一つ目を完食し二つ目に手を伸ばした時、ミーシャはラシュウの様子がおかしいことに気付いた。
「どうしたの、ラシュウ? ラシュウも食べる?」
こてん、と首を傾げて彼の前にサンドイッチを持っていくと、彼は嫌そうに顔を歪めてふいっとそっぽを向いた。
「……だから、俺を人間と一緒にするな。そして、早く食べてさっさと行くぞ」
「えー。まだ食べ始めたばっかだよー」
ぱくぱくと二つ目のサンドイッチを食べ終え、三つ目に手をつける。今度は野菜がぎっしりと挟まれているものだった。
ぱくりと一口噛みしめつつ、しかし視線はラシュウに向けたまま。
何があったのか、聞きたいがそんな雰囲気ではないことはミーシャも理解していた。
それでも、ミーシャはむずむずと落ち着かなくなり、結局は聞くことにするのだった。
「……ねえ、何でそんなに急ぐの?」
ミーシャの疑問に、ラシュウは固まった。
「……」
「?」
ラシュウは口を閉ざしたまま動かない。ミーシャはサンドイッチをかじりながら首を傾げる。
そして、ふと思った。
……今のラシュウの雰囲気は、あの時と、船の上で見せた遠くを見ているような、どこか辛い感情を抱いているときと同じ雰囲気なのだ。
何か、辛い何かを押し殺しているような、そんな感じ。
「…………むぅ、分かったわよぅ」
そう呟き、ミーシャはティーカップに入ったミルクティーを飲み干して、サンドイッチの入っている箱のふたを閉めて、それを鞄の中へ入れた。
サンドイッチは持ち帰れるようバスケットにしておいて正解だった。
「さ、早く行くんでしょう?」
「……え、あ、あぁ……」
――……すまん。
心の中で、ラシュウは呟いた。
そして、二人は束の間しかいなかった喫茶店を離れて、町の外に向かって歩きだす。