背中合わせの不安と疑惑 6

 ぼーっと鳥が餌をついばむ様を見ていると、ぽかりと誰かに頭を殴られた。
「おい、そこのアホ(づら)
「……そんな顔してないっ」
 眉を寄せて頬を膨らませるミーシャ。
 そんなことはお構いなしに、ラシュウはミーシャの肩の上に座った。
「町の見物は終わったのか?」
「うーん、まあ、大体は見て回ったと思うよ」
 町中を見て回った、とは言っても本当に歩き回っただけにすぎない。
 それに、と見物よりも買い物の方に意識が飛んでいたから、見物どころではなかったような気がする。
「食料の確保もしようとしたらさぁ、こんなの貰っちゃったー」
 肩から提げているポーチの中をがさごそとあさり、それを見つけてつかみ出す。
 それは、あの老店主から貰った青い石の飾りがついたペンダントだった。

「………………っ!?」

 興味なさげな瞳をペンダントに向けたラシュウは、刹那、かっと瞳を大きく見開いた。
 ミーシャの肩から舞い上がると、そのままミーシャの手の中にあるペンダントに釘付けになる。
「……これを、どこで?」
「え?」
「これをどこで手に入れたっ!?」
 唐突に罵声を上げるラシュウに、びくっと肩が震えた。
 これ以上ないほど目を見開き、そして眉を寄せる。
「どこって……だから、その食料買った所――――」
 いきなりのことに口がうまく回らない。
「すぐそこに案内しろっ!」
 いつもとは違うラシュウの雰囲気に、ミーシャは気圧されながらも、彼の言うとおりにした。
 くるりと身を翻して、あの店へと走る。
 ラシュウは奥歯をぎりりっと噛みしめながら、その背を追った。

 ――何故、そんなものがあるんだッ!
 何故、今になってそんなものが……ッ!


 駆け抜ける町並み。
 人混みの少ない道を走りながら、ミーシャは手の中にあるペンダントを強く握った。

 ……ラシュウがあんな顔するなんて、初めて見た……。
 ついさっきの光景が脳裏に甦る。
 ペンダントを見て、驚いた顔をしたラシュウ。そして、瞳が、悲しみを訴えていた。


 はぁはぁと息を切らせ、一旦ミーシャは立ち止まった。
 あの場所への道のりが思い出せない。
 つい先程のことなのに、遠い昔のことのように思えて、まるで、霞がかっているようにおぼろだ。
「はぁはぁ…………あれ、どこ、だっけ……」
 膝頭に手を置いて、息を整える。深く、何回も深呼吸をして、顔を上げた。
 もう、見慣れてしまった煉瓦の町並みが広がる。
「なんで……思い出せない……」
 どの道も同じように見えてしまい、頭が混乱する。
 何故ラシュウがあんな顔をしたのか、その理由がこのペンダントにあるのなら、あの場所に何かあるかもしれないのに。
 焦りがそのまま思考を鈍らせていく。
「……そのまま動くな」
 ラシュウの声がしたのと同時に、頭の後ろに何かが触れた。
 はっ、として一瞬だけ息が止まる。後頭部に、ラシュウの小さな五指が触れていた。

「……我が声に、風の飛よ、応えよ」

 小さく呟く声。
 すると、ラシュウの指先から風の気が広がっていった。心地よい気の流れがミーシャの全身を包み込む。
 目を閉じてその風に身を任せていると、ふわりと瞼の奥で光が閃いた。
「…………ぁ」
 霞がかった記憶が、徐々に甦ってきた。
 脳裏を、光の閃光のように駆け抜けていく。
「こっちだ」
 再びミーシャは駆け出した。
 その後姿をじっと見つめながら、ラシュウはぼそりと呟いた。

「記憶操作の呪い……一体、誰が……」

 瞳の奥に暗い炎を灯しながら、ラシュウはミーシャの後を追った。





 ※





「……そう、ここで…………右」

 独りごちりながら、ミーシャは道を右に曲がった。さらに少し走って、今度は左へと曲がる。
 そして……――――

「…………え?」

 ざざざっと滑りながら勢いを緩めて、立ち止まる。足元から少し砂埃がたった。
「ここか?」
 ラシュウが問いかける。
「うん……確かに、ここだよ」

 しかし、そこにあったのは……廃墟となった、昔は店だった建物が、申し訳ない程度に廃れて残っているだけだった。
 今にも崩れてきそうなその店は、かろうじて建っている。
 ミーシャは唖然としながらも、扉の無くなった出入口から中に入っていった。
 ばきっ、と倒れていた木製の扉を踏んで音が鳴る。中は騒然としていた。
 壁に並んでいた棚が全て倒れ、腐っていた。奥のカウンターもぼろぼろだった。
「うそ……ここ、なのに…………ここのはずだよっ!?」
「……らしいな」
 ラシュウは呟いた。
 だが、呆然としているミーシャの耳には届かなかった。

 ――微かに、何かの『気』が残っている。
 誰から呪文を使ってあいつに幻を見せていたのか……?

 でも、誰が、何のために……。

 地面の砂埃を払いながら、ラシュウは風気を放った。
「…………ちっ」
 ラシュウは舌打ちして、風気を放つのをやめた。
「もうすこし『気』の力が強ければ、手がかりがあったんだろうな……」
 呟きは風に流されていく。
 まるでこの場所だけが時が止まっているように感じられるほど、ここは寒々としていた。
 ラシュウは鋭い視線を店全体に向ける。

「……おい、早くここを出るぞ。嫌な予感が――」

 ミーシャの方へ振り返り、ラシュウは絶句した。
 ――嫌な予感が、的中した。

「おいっ! ミーシャ!?」
 壁にもたれかかるようにして、ミーシャは倒れていた。鴇色の長髪がざんばらに広がり、床を覆いつくしている。
「おい、コラ!」
 ラシュウの感情が(たかぶ)り、周囲の風がそれに反応してうねる。
 勢いよく床を蹴ってミーシャのところへ行くと、息が詰まってしまった。
「……っ」
 荒い息づかいが彼女の口から発せられている。目を瞑り、眉を寄せ、額から汗が流れていた。
 さらに、ラシュウは異様な気配が店全体を包み込んだのを感じた。
「クソッ!! 一体、何だっていうんだ!」
 ラシュウはミーシャの体の周りに風の結界を張り、そして、手をかかげた。
「<風紋(ふうもん)>」
 かかげた手のひらから、薄緑色の風が現れた。その風が一気に収縮し、球体へと形を変える。さらにその風が水の波紋のように波打ち、辺りに広がった。
 店を覆いつくしていた気配が無くなった……と思った瞬間、その気配は再び店を覆いつくした。
 ラシュウは小さく舌打ちする。
「元を絶つしかないか……」
 今度は、両の手のひらを顔の前で合わせて、呪文を唱える。
 生暖かい風の気が彼の体から発せられ、陽炎のように揺らめく。

 ――刹那、彼の放つ風の気が一瞬にして店を取り囲んだ。
 全体が淡い緑色の世界になり、微かに、その世界は揺らいでいた。
「……」
 目を瞑り、神経を細く研ぎ澄ませていく。
「…………やはり、というべきか」
 唐突に口を開いたラシュウは目を開けると、そばで壁にもたれかかって気絶しているミーシャに視線を移した。
 頭から足へ、全て見渡し、探していたそれを彼女の首に見つけた。
 きらりと輝く青い石の飾りがついたペンダント。
 その青い石から異様な気が放たれていた。
「ったく……どうして気づかなかったんだよ、俺は」
 頭をかきながら苦虫を噛み潰したような顔をするラシュウ。彼は左手をミーシャの首にかかっているペンダントの青い石の飾りに向けると、小さく呪文を呟いた。
 すると、何事も無かったかのように、この場の雰囲気が戻ってきた。
 異様な気配が消えて、ただの廃墟に戻る。

「記憶操作に、簡易な(のろ)い……そしてこのペンダント……」

 様々な思いが脳裏を駆け巡っては消えていく。
 どうして今こんな物があるのか、誰がこれを持ち出したのか。
 謎ばかりが深まる中、昔の情景が瞼の裏側を走り抜けた。
「貴様は、俺に、何を求めているんだ……?」
 呟いた言葉が、静かな廃墟に響き渡る。ミーシャはいまだに目を瞑ったままだ。


「なぁ、フィリアよ……」


 精霊(エルフ)の呟きは、誰の耳にも届かず、風だけがそれを聞いていた。

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<初稿:04/08/??/改稿:07/12/02>