「ふーん……」
「どうだい、お嬢ちゃん? 安くしておくよ」
しばしの睡眠の後、ミーシャは宿を出て町を散策していた。
通りを歩いていると、露天商が声をかけてきたのだが、ミーシャはそれを軽く断って歩みを進める。
「どれもいいものなんだけどねー……」
ミーシャは呟く。
ここで色々と買ってしまうと、またラシュウに怒られてしまう。怒られるのはもう嫌だし、自分が怒るのも嫌だ。
青い空が広がる中、鳥の群れが優雅に飛んでいる。その中の一羽が群れから離れ、町の上空を旋回している。
ミーシャはそれに気づかずに歩みを進めていき、とある店の前で立ち止まった。
「そういえば……食べ物買ってなかったな……」
旅をする中で必需品となる食料。
重いものは持っていけないが、携帯食料と呼ばれる小さなものは数に限りはあるけれど持ち運べる。
旅をしている中では極力自給自足の生活をしている。しかし、それでも食料をとれない時がある。その為の、食料。
扉を押して中に入ろうとすると、ベルが鳴った。
「いらっしゃい」
店の置くから老人の声がした。
ベルの音を聞きつけたのだろう、奥の扉が開き、そこから老人が姿を現した。
その老人は、そのままカウンターに向かい、椅子に座った。
ミーシャは並んでいる棚の中の商品を見ながら、あれでもないこれでもないと呟く。
老人は口元に笑みをたたえながら、その様子を見ていた。
暫く視線を彷徨わせていたミーシャは老人の方へ顔を向け、口を開いた。
「あの、これ以外に日持ちする食料ってありますか?」
「ほっほっほ、もちろんあるよ。ちょっと待っておくれ」
顎にたくわえられた白ひげをなでながら、老店主は先ほど出てきた扉を開けて中に入っていった。
ばたんと静かに扉が閉まり、沈黙がその場に流れる。
数分後、老店主がダンボール箱を持って現れた。
「よいこらしょっと……」
カウンターの上にそれを置くと、テープでとめてある開け口をカッターで切り始めた。
すーっと、滑らかに切れ目がついて、端に到達すると、カッターを置いてダンボール箱を開けた。
ダンボール箱の中には、色々な形状の携帯食料が入っていた。
「うーん……」
長方形型の固形のもの、缶になっているもの、革の袋に入っている干し肉や干し魚などがあった。さらには干した果実までもある。
「うーん……それじゃあ、この固形のと干し果実をください」
「はいよ」
ミーシャが指差した食料品を、老店主はダンボール箱から取り出した。
固形のものと干し果実、合計十五個を革袋に入れる。
「あ、待って。袋はあります」
がさごそと、肩から提げている小さなバッグから革袋を取り出した。
「ん? いや、いいんじゃよ。その袋には別なものでも入れなされ」
老店主がそう言って断ると、手に持った袋にどんどん入れていくる。
あまりの早業に呆然としつつ、ミーシャは出した袋をバッグに戻した。
老店主は全ての物をを入れ終えると、袋の口を紐でくくる。
「はい、これで八百ロセスだよ」
「……え?」
お金を出そうとしていたミーシャの手が止まった。
「あ、あの……千ロセスの間違いでは?」
「うむ、本当はそうなのじゃが、お嬢さんには特別サービスじゃよ」
にっこりと微笑みを浮かべて、老店主は商品の入った革袋と引き換えにミーシャからお金を受け取った。
「ありがとうございます」
「いやいや。老い先短い人生じゃからのぅ。こんなに可愛いお嬢さんがわしの店に来てくれるなんて嬉しいんじゃよ」
「またまた、お世辞なんか言っても何も出てきませんよ」
あはは、と笑い声が店内を包み込む。
「ほっほっほ。……でも、まあ、今日でこの店も閉じようとしていたんでな。来てくれて嬉しいのは本当じゃ」
老店主の瞳に、悲しいものが宿った。
「え?」
「最近なかなか売れんでのぅ。赤字がでる前に閉めようかとね」
老店主の言葉を聞き、ミーシャは顔を暗くした。
「なんじゃい。お嬢さんがそんな顔をするもんじゃないぞ」
老店主は目を真ん丸くしながら言った。
そして、今度は優しく語りかけるように言う。
「店は閉めるがな、この町で残りの人生を気軽に過ごせるんじゃから、それはそれで楽しみだぞ」
豪快に笑って、老店主は何を思ったか服の胸ポケットに手を入れた。
そこから何かを取り出して、その手を差し出してくる。
「最後の優しいお客さんに、プレゼントじゃ」
「……これは?」
老店主のしわくちゃの手の中にあったのは、青い石の飾りがついたペンダントだった。
その青い石は宝石のような輝きをもち、川原に流れている角が丸まった石のように丸い形をしていた。
「わしが若い頃に身に着けていたものでなぁ。今はもう、わしにはもったいないものなんじゃよ。だから、お嬢さんにプレゼントするよ」
「え、でも……」
困惑するミーシャに、老店主は無理矢理それを押しつけた。
「さぁ、店を閉じるよ。……最後までありがとうな」
押し出すように、老店主はミーシャの背を押して店の外に出した。からん、と寂しそうにベルが鳴り、扉が閉まる。
ミーシャは振り返り、しかしそこに人影は無かった。
「……」
ミーシャは手に持った革袋と、老店主からもらったペンダントを交互に見て、そして歩き出した。
白い煉瓦造りの通りの道を歩く。
道のいたるところに植えてある街路樹が、風に吹かれて木の葉を揺らした。
「うーん、いい風だなー」
吹きぬける風を体全体で受け止めながら、ミーシャは微笑んだ。
「こういう風が、世界中に吹いたらいいのに……」
世界を流れる風は、『風の里』にある<
真実かどうかは定かではないが、風神がそこから世界中に流している、と以前聞いたことがある。<風洞>から生まれた風は穏やかなものだが、世界に散りはじめると、その性状が変化してしまうそうだ。
荒れた地には荒れた風。
乾いた地には乾いた風。
極寒の地には寒風が、猛暑の地には熱風が吹く。
その土地に合わせて、風は姿を変えるのだ。
「でも、そうも言ってられないのよねぇ……」
姿を変えた風は元の姿に戻ることは出来ない。一生をその姿で過ごすのだ。
だからこの場所に吹いているような、穏やかな風はとても珍しいのだ。
とぼとぼと歩いていたミーシャは、ふと目の前の巨大な影を見て足を止めた。
仰ぎ見るとそこには巨大な時計塔が立っている。
「……大きな時計だなぁ」
ここはたぶんこの町の中でで一番大きな場所だろう。
自然の残った公園。その公園の中央に、木造の古い時計の塔が立っていた。
飾り気の無いシンプルなその塔の時計の針は、今にも止まってしまいそうな動きをしていた。
ミーシャは知らず知らずして公園の中に足を踏み入れていた。モダンな町並みとは違い、この公園が自然のそれが残っていた。
よくよく見ると、時計塔の周りに小鳥たちが舞い降りていた。しきりに地面をつついている。
どうやら餌がばら撒かれているらしい。
小鳥の近くに少年が立っていて、腕から下げた袋が大きく膨らんでいた。
「のんびりっていいなぁー」
呟いて、ミーシャは近くにあったベンチに腰を落とした。