背中合わせの不安と疑惑 3

 太陽が西へと沈む空は茜色に染まっていた。それはまるで油絵で描かれた絵画のように見えて、思わず見入ってしまうぐらい綺麗だった。
 そんな中、ミーシャは町中を歩いていた。
「……むー」
「早く宿を見つけろ」
 ミーシャの肩に座っていたラシュウが、呆れながら口を開けた。
「だってぇ、見つからないんだもん」
「見つけるんだ」
 ラシュウの一言に、ミーシャはむすっと頬を膨らませた。
 この町は規模は小さいが、町全体のつくりは複雑なものだった。
 道が幾つにも分かれており、店には看板らしきものがあったが、ほとんど役に立っていない。
 困ったもんだとミーシャが腕を組みながらとぼとぼとと道を歩いていると「行き過ぎ」とラシュウが言った。
「え?」
 彼の言っている意味が分からず、首を傾げる。
「だから行き過ぎだってぇの! ……右っ」
 右。右を向けということか。
 一人納得するミーシャは彼の言うとおり顔を右に向けた。
「……あ」

『宿屋』

 煉瓦造りの古めかしい建物。
 その屋根の看板にはそう書いてあった。
「あった」
「『あった』じゃねぇ! 一体、ここを何回通り過ぎれば気が付くんだよ!!」
 怒り心頭のラシュウのストレートパンチがミーシャの頬に直撃した。
「痛っ!」
 すぅっ、とラシュウが空に舞い上がる。ミーシャは彼に殴られた頬をさすりながら、空を見上げた。
「なにすんのよぉ」
「うるせぇ。早く宿を見つけないのが悪い」
 腕を組み、精霊(エルフ)は少女を睨みつけた。睨みつけられた少女はというと、本当のことを言われてしまい反論できなかった。
 それにしても何度もここを通っていたんなら、言ってくれればいいものを。
「ごめん」
「謝られても困る。さっさと中に入れ」
 今度は頭を蹴飛ばされ、背中を押された。
 ミーシャは蹴られた頭を押さえながら、彼のされるがままになっていた。

 ――素直に謝ったのに、なんなのよ!




 時間帯が怪しかったが何とか部屋をとることができた。内装は建物の外見と似ていて、どこか古びた感じが漂っている。
 部屋に入り早々とベッドに横になったミーシャが完全に眠るのを待ってから、ラシュウは窓を開けて外に出た。
 あまり音を立てないように窓を閉めると、ふわりとそのまま屋根に上がった。
「……風神、いるんだろう?」
『――――なんだ、気付いていたのか』
 ぶわりっと風が巻き起こり、翡翠色の巨鳥が姿を現した。
 何度か翼を羽ばたかせて隣に降り立つのを見届けると、ラシュウは口を開いた。
「風神こそ、俺たちに何の用がある? なぜついて来た?」
「別に用はない。ただの気まぐれさ」
 風神のエメラルドの瞳が穏やかにラシュウへと向けられる。
 しかし、彼の瞳はどこか遠くを見つめていた。力の無いそれに、風神は剣呑に瞳を細める。

「……お主の事情は我しか知らん。その姿も、本来の力も」

 唐突に話し始めた巨鳥の言葉に、精霊はぴくっと反応した。
 風神はそれを横目で見つつ、見ていない振りをして言葉を続ける。

「知られたくない気持ちもわかるが、いつかは知られる」

「……」

 風神の言葉を、ラシュウは重く感じ取っていた。





 ――いつかまた、私とお前は蘇る。


 ――――……そしたら、どうなる?


 ――世界の破滅さ。いつかは分からないが、いずれ起こるだろう。


 ――――止める術は?




 ――ない。あったとしても…………





「我は創られた神。メヴィース神やホルノス神とは異なる存在。……時の流れは変えられなくとも、お主の助けをすることはできる」
 辛い、とは思う。
 けれども、言わなくてもいいことであるとも思う。
「……うるさい。おせっかいな風め」
 毒づいたラシュウに、風神は含みのある笑みを浮かべた。
「くくくっ、助けはいらぬか。……まぁ、これも気まぐれだ。気にするな」
 風神は翼を広げ、空に飛び上がった。
 羽ばたきもせず風神は高く飛ぶと、風に姿を変えて流れていった。


「気にするな……か」

 風神の言った言葉を、その意味を考えながら口にする。
「神のくせに…………」
 ラシュウの呟きは、夜の涼しい風に流されていった。





 ※





 翌朝。

「ん〜……だぁー……」

 ごろっとベッドの上で、ミーシャが寝返りを打つ。現在はうつ伏せの状態で、枕を抱え込んで寝ていた。
 東向きの窓からは朝日が差し込み、比較的部屋は明るかった。
「ふむぅー…………ぅー」
 変な寝言がミーシャの口から発せられる。夢でも見ているのだろうか。
「う〜……」
「……少しぐらい、静かに寝ることはできないのか」
 ぼそりと、しかしラシュウは強調して呟いた。
 木で作られた素朴な机の上にラシュウは座っていた。部屋の側壁に背を預けて方膝を立てている。
 額のバンダナは目を覆い隠すように下がっていたが、先ほどから続くミーシャの寝言にくいっと指だけで器用に持ち上げた。
 片目だけがバンダナの下から現れ、いまだに寝続けている鴇色の髪の少女を睨みつけた。
「んんー……」
「……ていうか、いい加減起きろよ」
 いつも起きてくる時間よりもかなり遅いはずなのに、まだ起きてこない。
 いい加減起こしてやろうかと思い、ラシュウは立ち上がる。
「んー…………んっ!」
 すると、いきなりミーシャががばっと起きた。
「うおっ」
 いきなりの出来事に、ラシュウは驚きの声を上げた。

「……………………まずい」

 ばたっ。
 少女が再びベッドの上に戻る。
 暫くして規則正しい寝息が聞こえてきた。ごろん、とまた寝返りを打つ。
 一瞬の出来事に、ラシュウは口を開けたまま固まった。
「……寝相悪いなぁ。ていうか『まずい』ってなんだよ……」


 それから一時間後に、ミーシャは起きだした。





「むぐむぐ」
 ラシュウと半分寝ぼけ眼のミーシャは、宿屋の中にある食堂で朝食をとっていた。
 明らかに朝食と言う時間帯ではないが食堂はいつも開いているらしく、微妙な時間帯にやってきたミーシャを見ても何も言われなかった。
 ……まあ、苦笑はされたが。
「おい、寝ながら食べるな」
「……寝てない……寝ながら食べられない」
 本人はそう言っているが、半分寝ている。そう見える。
 というか脳は絶対に寝ている、と思う。「寝ながら食べられない」は……まあ正論だな。
「それより早く食べろよ」
「……食べてるよー」
「そう言ってから何分経ってると思ってんだよ」
 ラシュウが呆れ気味に問いかけると「一分」という返事。
 ……もうため息も出てこない。「三十分だっ!」と半ば怒鳴りながら言った。
「……えー? さっき言ったばっかじゃん」
「さっきじゃねぇよ! 三十分前に同じ質問して、そこからもう三十分も経ってるんだよ!!」
 つまりは、三十分以上食べつづけているのに、いまだに終わらないのだ。

 食堂にはミーシャとラシュウ、端の方に座っている男性、食堂と一体になっている厨房に一人いるだけで、とても静かだった。
 端の方に座っている男性は旅商人なのか、自分が座っている椅子の脇に木で造られた大きなケースと、それよりちょっと小さいケースが置いてあった。
 厨房では数人が流しで食器を洗っている。

 もぐもぐと口を動かしているが、全く手が動いていない。
 あ、厨房のおっさんがこっち向いたぞ? ……ため息まで吐いてやがる。相当呆れているな、これは。
 きっと「早く食べて早く食器を戻せ」ということなのだろう。洗い物が増えるのは困るが、かといっていちいち個別に洗うのも面倒だろう。

「そういえばさー。ラシュウは食べなくていいの?」
「は?」
 ミーシャの素朴な疑問に、ラシュウは手で顔を覆い、嘆息を吐いた。
「あのなぁ、俺は人間とは違うの。精霊と人間を同類にしないでくれ」
 聞いているのかいないのか、ミーシャはパンを千切り、口に入れた。
 もぐもぐもぐ…………ごんっ。
 派手な音が響いた。
「……いったぁい」
「馬鹿が」
 どうやらうつらうつら食べていたミーシャの頭が机にぶつかったらしい。
 額をおさえている少女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 やれやれと首を振る。辺りに目を配ると、厨房の人は口に手をあてて笑いをこらえている。旅商人の方はというと、あらぬほうを向いていたが肩が揺れていた。
 これは、笑っている。
 ミーシャはその光景に気付いておらず額を押さえたままで机と睨めっこしていた。
 思わずラシュウも笑みがこぼれた。
「これでやっと目が覚めただろう?」
「だから、起きてるってばっ。……いたい」
 額をさすりながら、今度はぱくぱくとリズミカルに食べていく。
 これでやっと長かった朝食の時間が終わるはずだ。

「さっさと食べろー」

「むっ……」

 心の中で「いじわる」と呟き、ミーシャは皿の上に載っている目玉焼きを食べる。
 目玉焼きの下には軽く焼いてあるハムがあった。一緒に口に入れると、焼けたハムの香ばしい味と卵の味が混ざって広がった。
 そのあと、パンを食べて、ミルクティーを飲む。

 そして、五分と経たず食べ終わった。
 二枚の皿とティーカップを重ねてトレーに載せる。立ち上がりながらそれを手に持ち、厨房の方へと持っていった。
 食器を洗っていた一人がミーシャに気付き、にっこりと笑みを浮かべる。
「どもー。とってもおいしかったです」
「そりゃあどうも。……額、赤くなってるよ」
 ミーシャからトレーを受け取った男が、去りぎわに言って苦笑した。
 言われた本人は頬を赤く染めて、額を手で隠した。

 そして、二人は食堂を後にした。

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<初稿:04/05/??/改稿:07/12/02>