「暑い……」
ミーシャの呻きが森の中に木霊した。
フォルアの大森林を、熱気のこもった風が吹き抜ける。鴇色の長い髪が風に遊ばれ、大きく揺れた。
自らの長い髪を一房掴み、思う。
「今度髪の毛切ろうかなぁ」
腰よりちょっと長いくらいの髪は、暑くなると本当に
何度か切ろう切ろうと思いつつも切らなかったのは、ただ単に面倒だったのもあった。
しかしここまでくると……もう、切った方がいいのではないかと錯覚しそうな気がする。
「結えばいいんじゃないのか?」
「……そうだねー、せっかくここまで伸ばしたんだし……それでもいいかなぁ」
長い髪を真ん中で二つに分け、頭上で手で纏めてみる。ツインテール、と遊んでみるとラシュウが苦笑を浮かべた。
「……似合っている…………」
「ん? 何か言った?」
いいや、とラシュウが頭を振った。同時に、額に巻いているバンダナも揺れた。
そういえば、と思う。
「……ねぇ、ラシュウ」
「なんだ?」
疑問の眼差しを向けてくるラシュウに、ミーシャはじーっとバンダナを見つめながら、問いかけた。
「そのバンダナってさ、いつも大事にしてるよね……誰からもらったの?」
一瞬、ラシュウは頭の中が真っ白になり、少して頬が赤く染まった。
「お、俺のだっ!! もらったわけじゃないっ」
「そうなの〜? 何だかあやしーなー」
ミーシャがにやにや笑いながら、もしかして……と呟く。
「こ・い・び・と?」
一つひとつ区切って断言すると、ラシュウは一気に顔を赤らめた。
「ば、馬鹿だろお前! そんなわけあるかっ!」
ラシュウが叫んだ。耳まで赤くなった彼を見て、ニヤリと笑う。
彼は決して暑いから赤くなっているのではない。――正真正銘、照れているのだ。
そうかそうか、ラシュウにもそんな人がいたのか。なんて思いつつ、やっぱりそこは気になるので。
「ねぇ、その人って誰?」
「だから! もらってないーっ!!」
※
フォルアの大森林を抜けたミーシャとラシュウは、直ぐにたどり着いた町で、一息ついていた。
古めかしい町並みが広がるコハの町。
ここはホルノス帝国より南東に位置する小さな町だ。大森林とは違う、そよそよと涼やかな風が吹いている。
「ここって、結構歴史がありそうな町だねー」
「まぁ、少しはあるな。この町だけじゃなく、この大陸、この世界には……」
ラシュウの瞳はどこか遠くを見ていた。あの時と、船の上で見せたあの時と同じ瞳だ。
何か、言えないものを心の奥で抱え込んで、自分だけ苦しんでいるような瞳。
「――――その昔、まだこの世界に何も存在しなかった頃……」
唐突にラシュウが話し始めた。
「この世界には二人の神がいた。メヴィース神とホルノス神という」
知っているだろう? とラシュウが聞いてきた。
ミーシャは小さく頷く。
二人は、この世界を創ったと言われている主神の名前。
「メヴィース神は炎と地を、ホルノス神は風と水を司っていた」
それは世界創世の話。
二人の神はそれぞれ――メヴィースは<大地>と<森林>を、ホルノスは<空>と<海>を造った。
その時はまだ、大陸は一つであった。
「<自然>を造り終えた神は、次に<生き物>を造った」
人間、動物、鳥、魚、妖精……いろいろと造った。生き物は在るべき場所へ住処を作り、暮らしを始めた。
生き物を造り終えると、神は自分の住む湖へと戻り、眠りについた。
安泰の日は続いた。二人の神も、この安らかな時を過ごしていた。
――だが、安泰とはすぐに消えるものだ。
「神々が目覚めて、彼らは愕然とした」
木々は炎に焼かれ、大地は火の海と化し、獣たちは逃げまどい、人間たちは争っていた。
理由は……権力争いだった。智慧を持った、武力を手に入れた人間は、誰もが上に立とうと争った。
以後、それはこう語り継がれることになる。
その名が――――
「――<
ラシュウの瞳の奧で、冷たい炎が生まれた。怒り、という名の炎がゆらゆらと揺れる。
ミーシャはその炎に気付くことはなかった。
ラシュウの話を聞きただ唖然としている。
風の
「神々は嘆いた。『これでは何のために生物を造ったのだ』と……」
そして二人の神は決断した。
大陸を五つに分けて、争いを強制的に中断させようと。
神の力で五つに分かれた大陸。それぞれに分かれた人間たち。
その代償なのか、大陸からも幾つか分かれて島となった。
海に浮かぶ幾つもの島も、本当は一つの大陸だったのだ。
「その後、メヴィース神とホルノス神は<自然>を再生させた」
木々に緑が戻り、大地に獣が駆け回るようになった。海にも魚が優雅に泳ぎ、空は青さを澄み渡らせた。
そして、神は話し合った。
――どうすれば、争わずにすむか。
「しかし、彼らの話し合いは無駄だった」
二人だけでは話し合いにならなかった。二人は争ったことがなかったから、その方法が分からなかったのだ。
だから二人は、とある民に二つのものを残した。
一つは突出した<武>の力を、一つは突出した<知>の力を。
それは争わない為、今後争いを生まない為の、力。
あり過ぎる力は己の身を破滅に向かわせるだけ。その力を制御するだけの、自身の強さを持っていなければ扱える代物ではない。
何百年という月日が経った後、民はその力の意味を知り、そして制御することができた。
「<武>を司る民はリザルト族、<知>を司る民はクワイト族」
「え!? リザルト族って、魔法を操るんでしょう……なんで<武>を司っているの?」
確かにそうだ、とラシュウも思う。
リザルト族は、魔法を操ることで世界的に有名だ。
「魔法が使えるからといって<知>を司っているわけではない」
そう、だからといって違うとは言い切れないのだ。
「奴らは、確かに<武>を司っている。……あいつらは戦うだけの民だからな」
そして、神々は再び眠りについた。今度こそ争いのないように、争いが起きないように。
次に、彼らが目覚めるときは――――
「――<空の第二次世界大戦>の時だ……!」
そこで、ラシュウは話を終わりにした。
この世界の、昔の歴史。それは残酷で、悲しくて、切ない争い。
「……風の民は?」
え? とラシュウは問い返した。
ミーシャは揺れる瞳をラシュウに向ける。
「風の民は、どっちも持っていないの?」
「…………まぁ、神が残したのはその二つだけ。風の民は、どちらも司ってはいない」
風の民はどちらも司ってはいない。けれど、それに近いものを持っている。
「だが、神は風神<風伯>を造った。風を守護する、そして世界を守護する任にある神である<風伯>」
翡翠色の体をした大きな鳥の姿が思い浮かぶ。
時々人の姿をしたかと思えば軽口を叩き、到底神様には見えない女神。
「人間はメヴィースとホルノスが世界の神だが、風の民にとっては<風伯>が世界の神だろうな」
ラシュウはミーシャの肩に乗った。
風に吹かれて、ラシュウのバンダナとミーシャの髪が大きく揺れる。
「……とまぁ、昔の歴史はこんなもんだ。少しは勉強になったか? 馬鹿娘」
「んなっ! 馬鹿娘とはなによっ!」
「そのまんまの意味だ」
明後日は見ているラシュウに、ミーシャは鋭く睨みつけた。
「さて、さっさと宿を見つけろ。俺は疲れた」
「なにっ!? 私の方が疲れたわよ!」
はいはい、とラシュウは呆れ顔で対応する。
そんな彼の態度に、むすっとミーシャは器用に頬を膨らませた。