背中合わせの不安と疑惑 2

「暑い……」

 ミーシャの呻きが森の中に木霊した。
 フォルアの大森林を、熱気のこもった風が吹き抜ける。鴇色の長い髪が風に遊ばれ、大きく揺れた。
 自らの長い髪を一房掴み、思う。
「今度髪の毛切ろうかなぁ」
 腰よりちょっと長いくらいの髪は、暑くなると本当に鬱陶(うっとう)しいのだ。
 何度か切ろう切ろうと思いつつも切らなかったのは、ただ単に面倒だったのもあった。
 しかしここまでくると……もう、切った方がいいのではないかと錯覚しそうな気がする。
「結えばいいんじゃないのか?」
「……そうだねー、せっかくここまで伸ばしたんだし……それでもいいかなぁ」
 長い髪を真ん中で二つに分け、頭上で手で纏めてみる。ツインテール、と遊んでみるとラシュウが苦笑を浮かべた。
「……似合っている…………」
「ん? 何か言った?」
 いいや、とラシュウが頭を振った。同時に、額に巻いているバンダナも揺れた。
 そういえば、と思う。
「……ねぇ、ラシュウ」
「なんだ?」
 疑問の眼差しを向けてくるラシュウに、ミーシャはじーっとバンダナを見つめながら、問いかけた。
「そのバンダナってさ、いつも大事にしてるよね……誰からもらったの?」
 一瞬、ラシュウは頭の中が真っ白になり、少して頬が赤く染まった。
「お、俺のだっ!! もらったわけじゃないっ」
「そうなの〜? 何だかあやしーなー」
 ミーシャがにやにや笑いながら、もしかして……と呟く。

「こ・い・び・と?」

 一つひとつ区切って断言すると、ラシュウは一気に顔を赤らめた。
「ば、馬鹿だろお前! そんなわけあるかっ!」
 ラシュウが叫んだ。耳まで赤くなった彼を見て、ニヤリと笑う。
 彼は決して暑いから赤くなっているのではない。――正真正銘、照れているのだ。
 そうかそうか、ラシュウにもそんな人がいたのか。なんて思いつつ、やっぱりそこは気になるので。
「ねぇ、その人って誰?」
「だから! もらってないーっ!!」





 ※





 フォルアの大森林を抜けたミーシャとラシュウは、直ぐにたどり着いた町で、一息ついていた。

 古めかしい町並みが広がるコハの町。
 ここはホルノス帝国より南東に位置する小さな町だ。大森林とは違う、そよそよと涼やかな風が吹いている。
「ここって、結構歴史がありそうな町だねー」
「まぁ、少しはあるな。この町だけじゃなく、この大陸、この世界には……」
 ラシュウの瞳はどこか遠くを見ていた。あの時と、船の上で見せたあの時と同じ瞳だ。
 何か、言えないものを心の奥で抱え込んで、自分だけ苦しんでいるような瞳。
「――――その昔、まだこの世界に何も存在しなかった頃……」
 唐突にラシュウが話し始めた。
「この世界には二人の神がいた。メヴィース神とホルノス神という」
 知っているだろう? とラシュウが聞いてきた。
 ミーシャは小さく頷く。
 二人は、この世界を創ったと言われている主神の名前。
「メヴィース神は炎と地を、ホルノス神は風と水を司っていた」

 それは世界創世の話。
 二人の神はそれぞれ――メヴィースは<大地>と<森林>を、ホルノスは<空>と<海>を造った。
 その時はまだ、大陸は一つであった。

「<自然>を造り終えた神は、次に<生き物>を造った」
 人間、動物、鳥、魚、妖精……いろいろと造った。生き物は在るべき場所へ住処を作り、暮らしを始めた。
 生き物を造り終えると、神は自分の住む湖へと戻り、眠りについた。
 安泰の日は続いた。二人の神も、この安らかな時を過ごしていた。
 ――だが、安泰とはすぐに消えるものだ。
「神々が目覚めて、彼らは愕然とした」
 木々は炎に焼かれ、大地は火の海と化し、獣たちは逃げまどい、人間たちは争っていた。
 理由は……権力争いだった。智慧を持った、武力を手に入れた人間は、誰もが上に立とうと争った。
 以後、それはこう語り継がれることになる。
 その名が――――

「――<空の世界大戦(カルマリオンウォー)>だ」

 ラシュウの瞳の奧で、冷たい炎が生まれた。怒り、という名の炎がゆらゆらと揺れる。
 ミーシャはその炎に気付くことはなかった。
 ラシュウの話を聞きただ唖然としている。
 風の精霊(エルフ)は、無表情のまま話を続けた。
「神々は嘆いた。『これでは何のために生物を造ったのだ』と……」
 そして二人の神は決断した。
 大陸を五つに分けて、争いを強制的に中断させようと。
 神の力で五つに分かれた大陸。それぞれに分かれた人間たち。
 その代償なのか、大陸からも幾つか分かれて島となった。
 海に浮かぶ幾つもの島も、本当は一つの大陸だったのだ。
「その後、メヴィース神とホルノス神は<自然>を再生させた」
 木々に緑が戻り、大地に獣が駆け回るようになった。海にも魚が優雅に泳ぎ、空は青さを澄み渡らせた。
 そして、神は話し合った。

 ――どうすれば、争わずにすむか。

「しかし、彼らの話し合いは無駄だった」
 二人だけでは話し合いにならなかった。二人は争ったことがなかったから、その方法が分からなかったのだ。
 だから二人は、とある民に二つのものを残した。
 一つは突出した<武>の力を、一つは突出した<知>の力を。
 それは争わない為、今後争いを生まない為の、力。
 あり過ぎる力は己の身を破滅に向かわせるだけ。その力を制御するだけの、自身の強さを持っていなければ扱える代物ではない。
 何百年という月日が経った後、民はその力の意味を知り、そして制御することができた。
「<武>を司る民はリザルト族、<知>を司る民はクワイト族」
「え!? リザルト族って、魔法を操るんでしょう……なんで<武>を司っているの?」
 確かにそうだ、とラシュウも思う。
 リザルト族は、魔法を操ることで世界的に有名だ。
「魔法が使えるからといって<知>を司っているわけではない」
 そう、だからといって違うとは言い切れないのだ。
「奴らは、確かに<武>を司っている。……あいつらは戦うだけの民だからな」
 そして、神々は再び眠りについた。今度こそ争いのないように、争いが起きないように。
 次に、彼らが目覚めるときは――――
「――<空の第二次世界大戦>の時だ……!」
 そこで、ラシュウは話を終わりにした。
 この世界の、昔の歴史。それは残酷で、悲しくて、切ない争い。


「……風の民は?」
 え? とラシュウは問い返した。
 ミーシャは揺れる瞳をラシュウに向ける。
「風の民は、どっちも持っていないの?」
「…………まぁ、神が残したのはその二つだけ。風の民は、どちらも司ってはいない」
 風の民はどちらも司ってはいない。けれど、それに近いものを持っている。
「だが、神は風神<風伯>を造った。風を守護する、そして世界を守護する任にある神である<風伯>」
 翡翠色の体をした大きな鳥の姿が思い浮かぶ。
 時々人の姿をしたかと思えば軽口を叩き、到底神様には見えない女神。
「人間はメヴィースとホルノスが世界の神だが、風の民にとっては<風伯>が世界の神だろうな」
 ラシュウはミーシャの肩に乗った。
 風に吹かれて、ラシュウのバンダナとミーシャの髪が大きく揺れる。
「……とまぁ、昔の歴史はこんなもんだ。少しは勉強になったか? 馬鹿娘」
「んなっ! 馬鹿娘とはなによっ!」
「そのまんまの意味だ」
 明後日は見ているラシュウに、ミーシャは鋭く睨みつけた。
「さて、さっさと宿を見つけろ。俺は疲れた」
「なにっ!? 私の方が疲れたわよ!」

 はいはい、とラシュウは呆れ顔で対応する。
 そんな彼の態度に、むすっとミーシャは器用に頬を膨らませた。

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<初稿:04/05/??/改稿:07/12/02>