食事を終えたミーシャとラシュウは店を後にして、再び宿探しを始めた。
とはいっても半分は観光も兼ねているので、宿を見つけるのに時間が掛かりそうだが。
「……はぁ」
先が思いやられるな、とラシュウは嘆息を吐く。
それに気付いていないミーシャは、見知らぬ町でうずく好奇心を抑えられないのかうずうずしていた。今にも駆け出していきそうな雰囲気に、やれやれと肩をすくめる。
暫く歩き続けていくと宿屋のマークを掲げた看板が立てられた建物を発見することができた。今回見つけたのはちょっと古めかしい佇まいで、若干、悪い予感がする。
大体こういった宿屋は比較的安い代金で宿泊することができることから、旅人や商人の間ではよく利用される。
大抵は一階が酒場となり、二階が宿泊施設となっている。町の中でも交流場所として使われるその場所は、外の者でも気軽に利用できるのだが。
「ごめんね〜、今日は満室なの」
こういうこともよくあることで。
悪い予感が的中してしまった。
「うぅー……」
「その道なりに進めば他にも見つかるからね〜」
バイバイと手を振るカウンターの女性に見送られて、ミーシャはとぼとぼと店を出た。
「そんなぁ……」
宿屋によっては安さを売りにする分、部屋数が少ないところが多い。昔からある古い造りなので増築するのも難しいからだ。
「嘆いてる暇があんならさっさと探した方がいいんじゃねぇの?」
「うっ……そうだね」
珍しく突っかかってこないミーシャに、思わず驚いてしまった。いつもならば「うるさーい!」と喚くのだが、何か悪いものでも食べてしまったのだろうか……別な意味で心配だ。
「ほら、ぼけーっとしてないで、行くよ!」
「わっ! ちょっ……掴むなぁああ!!」
考えごとをしていたラシュウは、近づいてきたミーシャに気付くのが遅れた。彼女の声にはっとしてみれば、ぐいっと思い切りバンダナの端を引っ張られた。加減というものを知らないのか、ぐいぐい引っ張り続けている。
締め付けられていく額。変な圧迫感が頭全体に広がり……ぶちり、と堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減に放せぇえ!」
「あ」
彼女の手の力が緩んだ隙に、バンダナの端を奪還する。
「貴様……」
声を震わせて憤るラシュウに、やばいと危険を察知したミーシャはあらぬ方向へ目を向ける。その視界に入ってきたものに、慌てて口を開いた。
「あああったよ宿屋よし行くぞー!」
焦りからか挙動がおかしくなっている。バタバタと駆け出したミーシャを一瞥し、ラシュウはふうと脱力する。
「……何やってんだか」
誰に言うでもなく、独り言ちた。
「何日希望?」
「え、あー……」
扉を開けて入ると、ミーシャはカウンターの女性と話していた。聞こえてきた言葉からして、どうやら空き部屋はあるようだ。
「どうした?」
「あ、やっときたー」
近寄って声をかけると、ミーシャがほっと安堵の表情を浮かべた。
その後ろで、女性が目を丸くする。
「もしかしてもう一人って……この小さい子?」
ひくり、と頬の筋肉が硬直する。
女性の発言に怒りを表すも、初対面の人に怒鳴りかかるわけにもいかないラシュウは、出しかけた言葉を飲み込んだ。
「精霊だよね? 初めて見たー」
「……言っておくが、見た目よりも年嵩だからなっ」
「え? あら、ごめんなさいね」
うふふ、と微笑む女性。ラシュウは大きく息を吐きだした。
精霊という種族は、人の半分ぐらい、もしくはそれよりも小さい体型だ。どれだけ成長してもこれ以上大きくなることはないし、人から見れば精霊は子供のようだと思われてしまうのだ。
風の民の里でも、それが分かっているはずなのに、一部の人からはよくそれでからかわれていた。
その時のことを思い出すと、思わず顔をしかめてしまう。
「ということは、あなた魔導師なのね?」
「え?」
唐突にかけられた女性の台詞にミーシャは首を傾げる。
(魔導師って……何?)
意味が分かっていないミーシャをどう捉えたのか分からないが、女性は目を瞬かせた後、何事も無かったように話を続けた。
「まあいいわ。ところで、何日希望するのかしら?」
「そうだった。ねえ、ラシュウ」
「んー……?」
ひょいっと二人の手元にある台帳を覗き込む。
――ああ、なるほど。そういうことか。
台帳には半分ほど名前と、宿泊する日程がびっしりと書き込まれていた。その文字列の一番下にミーシャの名前が書いてあるが、日程の部分が空白だった。
確か船が出るのは明後日のはずだ。
「二泊でいいだろ。明後日には出るんだから」
「そっか」
「二泊ねー……もし延びるようなら追加料金頂くわよー」
ラシュウの言葉を聞いて台帳に記しつつ、言葉を付け足す。
「分かりました」
「んと、これが鍵ね。部屋は4号室」
カウンター下の棚から出された鍵を受け取りつつ、宿泊代金を彼女に渡す。
「昼と晩はそこの酒場。朝は出ないから、外ってことになるわ」
「はーい」
「何かあったらそこの部屋ね」
そこ、と指差されたのは酒場となっているスペースの入口付近の部屋だ。どうやらそこが管理人室となっているらしい。
「私かもう一人がいるはずだからね。じゃ、ごゆっくり〜」
ひらりと手を振って踵を返した女性は、奥の部屋に入っていった。
鍵を受け取った二人は、早速当てられた部屋に向かうべく歩きだす。近くにあった階段を上り、廊下を進んでいくと、古い木造だからか場所によってはミシミシと床が悲鳴を上げた。
「あ、ここだ」
4という番号札が下げられた部屋の前で立ち止まる。先ほど渡された鍵を穴に差し込んで回すと、カチャリと鍵の外れる音がしたので、扉を開けて室内に入った。
「……うわー、もう夕方」
「部屋に入っての第一声がそれか」
呆れた口調のラシュウを気にもせず、室内に入ったミーシャはぽいっと荷物を放り投げた。
窓から差し込んでくる光はオレンジを帯びていて、室内を淡く染め上げている。窓を開けて空を見上げれば、夕日は沈み始めていた。
この町に来るまでも相当の時間がかかったが、お昼を食べてからこの宿を見つけるのにも結構な時間がかかっていたらしい。
贅沢にも広いとはあまりいえない部屋の片隅に置かれたベッドに倒れこむ。
シーツの匂いとひんやりとした冷たさが、どこか心地良かった。
「おーい、飯はいいのか?」
彼の言葉に、そういえばと辺りをきょろきょろと見渡す。壁にかけられた時計を見つけると、時間帯的にそろそろ酒場も込み合うと思われた。
「ご飯!」
「……食い意地張ってんなぁ……」
そんなラシュウの呟きは、わーいと躍るように部屋を出て行ったミーシャは知る由も無かった。
翌朝。いつもと同じ時間に目が覚めたミーシャは、身支度を整えて宿を出た。
いつの間にかラシュウは起きていて、部屋を出る直前に「散歩してくる」と言って窓から出て行ってしまった。
「……散歩するなら私も連れてけー」
てくてくと
しかし、彼の言う『散歩』というのは普通の散歩ではなく『空中散歩』。ただ風に身を任せ、鳥のように飛ぶだけのこと。精霊だからできることだ。
いかに風の民といえど、風から生まれた精霊と同じことができるはずもない。
「どーしようかなぁ……」
荷物と杖は宿屋に置いてきた。路銀の入った財布を持ってきてはいるが、あまり使いすぎると彼に怒られてしまう。
散財しているつもりはないのだが――過去に何度も、いつの間にか財布の中身が空になってしまうことがしばしばあった。
その時はラシュウが金銭管理をしていた為、全財産を使ってしまうことは無かったのだが……こうして旅をするにあたり、ラシュウが「少しは自覚しろ」と言ってきて、自分が管理をすることに。
自覚が無い分危ないのだと理解していないミーシャは、少しむすっとしたが、拙いながらも管理に必死である。
「……あ、朝ご飯まだだった」
お金をあまり使わないぞ! と決意して、しかし漂ってきた甘い香りに誘われて、とある店の前に辿りついた。
「いらっしゃい」
その店は周囲の建物と比べてとても小さかった。屋台のような帳場となっている窓から女性が顔を出してくる。
「朝ご飯かしら?」
「え、あ、はい」
唐突な質問(しかも当たっている)に驚きつつも頷くと、女性はにっこりと微笑んだ。
「甘いもの好き?」
「はい!」
「フフ、ちょっと待っててね」
そう言い残して奥に消えた(とは言っても、ここからでも調理場は見えているのだが)女性を見送りつつ、ミーシャは備えつけてあるイスに座った。似たようなディティールのテーブルには、小さなガラスの置物が置かれている。透明な中に青と白の模様が走り、まるで空のようだと思った。
「お待たせ〜」
暫くその飾りを眺めていると、声をかけられた。
顔を上げると先程の女性が料理を載せたトレーを持って来るところだった。
「でね、ちょっとお願いがあるんだけど……」
「はい?」
「相席してもいいですか?」
女性のものとは違う声に、ミーシャは彼女の後ろを見た。
そこには、いつから立っていたのか、女性と同じように料理を載せたトレーを持った青年が立っていた。
そういえば、と周りを見る。この店に備えつけられているテーブルは二つしかない。その内の一つは自分で、もう一つには女性が二人座っていた。
「どうぞー」
特に断る理由も無いのでそう促すと、青年は「すみません」と頭を下げつつ向かいのイスに腰を下ろした。
「はい、どうぞー」
店員が眼前に料理を置いた。甘い匂いが鼻をくすぐる。
待っている間に準備しておいた代金を彼女に渡し、それを確認すると彼女は店の中に戻っていった。
「いただきまーす」
改めて料理を向き合い、ミーシャは手を伸ばした。
白い皿の上には、ハチミツとバターがのったワッフルが二枚と、ヨーグルトが添えられていた。一つを手にとって豪快に半分に分けると、ぱくりとかじる。
(甘い! おいしい! ……やっぱり甘いのはいいなぁ……)
内心、悦楽に浸る。
「……旅人さん、ですよね?」
声をかけてきた青年に視線を向けると、彼はニコニコと笑っていた。
「よく、分かりましたね」
「見かけない顔でしたから」
彼はパンを一口サイズに引きちぎり、それを頬張る。
「…………あ、僕はアンリタといいます。よろしく」
「ミーシャっていいます」
よろしく、と笑顔を向ければ、彼も同じように微笑んだ。
「アンリタはこの町で何をしているの?」
ふと出てきた疑問に、彼は困ったように眉を八の字にする。
「うーん……しいて言うならば、吟遊詩人かな」
「え? もしかして、この町の人じゃない?」
「はい。でも、ここにはもう一年近いかな……」
吟遊詩人といえば、楽器を片手に世界を巡っている旅人と似たような存在だ。それなのに、一所に留まっているなんて、珍しい。
ミーシャが不思議に思っていると、それを察したのかアンリタは言葉を続けた。
「探し物があってね」
呟くように吐き出された台詞は、何かよく分からないものを感じさせた。
「探し物……?」
「そう。…………とても重要な、ね……」
彼の言葉の意味が分からず、ミーシャは首を傾げる。『大切な』探し物なら何となくその意味は分かるけれども……『重要な』とは……どういうことなのだろう。
考えれば考えるほど、頭の中がグルグルと渦巻いていく。
「そうだ」
アンリタの声に、思考の波に呑まれていた意識が浮上する。視線を上げて彼に向き直ると、「今から暇ですか?」と問いかけてきた。
「ミーシャさんはこの町初めてですよね? 僕が案内してあげますよ」
「えっ!?」
思ってもいなかった言葉をかけられて、喜びを感じつつもどうしたらいいか迷った。初めての町を散策したかったが、道に迷ったらどうしようかと半ば諦めていたのだが。
「で、も……迷惑じゃないかな?」
「そんなことないよ。今日は一日暇だからさ、何しようか考えてたんだ」
どうだろう、と聞いてくるアンリタ。鮮やかなオレンジ色の瞳が、真っ直ぐミーシャを見つめる。
(……一人よりは、二人の方が楽しい……かな)
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「勿論だよ」
温かい雰囲気を放つアンリタの笑顔に、少しばかり緊張して固まっていた体がほぐれた。
ほう、と息を吐き出すとミーシャは止まっていた手を動かし食事を続けた。
「……」
アンリタは笑顔を浮かべたまま、彼女を見つめていた。