港町と笛の音 1

 海独特の塩気のある風が鼻腔をくすぐった。
「海が近いとこんなに匂いって違うんだねー」
「そうだな」
 ミーシャの言葉にラシュウは頷いた。
 二人がいるのはアルセウス島の北部にある港町・ノスロス。
 活気の在る漁港では朝早くから市場が広がるのが有名だ。業者のみならず一般家庭の奥様方にも利用できることから、町でも重宝されている。
「……に、してもさー」
 大きく溜息を吐く。
「私たちって運悪いねー……」
「運が悪いのはお前だけだ」
「んなっ!」
 呆れた声音で皮肉をこぼしたラシュウに、ミーシャは眉を吊り上げた。
「だって、まさか船が出ちゃってるなんて知らなかったもん!」
 そうなのだ。二人がこの町に着いた時には、既に船は出港した後だった。
 船が出るのは大体二、三日の間を置くのが基本で、次の出向予定は早いものであっても明後日の早朝。
 それまではこの町から身動きがとれないのである。
「嘆いてる暇があるならば、さっさと宿を探せ」
「えー」
 これから町を見て回ろうと思っていたのに。
 そう思っていたことがどうやら顔に出てしまっていたらしく、ラシュウはあからさまに舌打ちした。
「……見て回るのはいいが、後になって宿が満室になって野宿になっても知らねーぞ」
 彼の言葉に、うっと苦虫を噛み潰したような表情になる。
 野宿は、嫌だ。
「それは困る」
「ならさっさと探すんだな」
 ラシュウの高圧的な態度に些か怒りを感じつつ、彼の言葉は的を射てるので言い返すこともできない。
 はぁ、と小さく溜息をこぼしつつ、ミーシャはとぼとぼと歩き始めた。

 なだらかな煉瓦の道は見るからに薄汚れていて、元々は白だったであろう色は、灰色と茶色を混ぜ合わせたような色に変わっていた。
 ミーシャは周りを見渡す。白や青、水色に染色された煉瓦の建物が多いのは港町だからだろうか。そんな疑問がふと浮かんだ。
「ねぇ、ラシュウ」
「ん?」
「なんでこの町って青いの?」
 唐突すぎる質問に、ラシュウは目をぱちくりさせた。
「……すげぇ直球だな」
 いや、だって。青いと感じたから青いと言ったんだ。間違っていないと思う。
「というか、何で俺に聞く?」
「え? 知ってるかなーと思って」
「何でもかんでも他人ヒトに頼るな! それに俺も知らないことぐらいあるわ!」
 憮然とした面持ちで言ったラシュウの台詞に、今度はミーシャは目をぱちくりさせた。
(ラシュウでも知らないことあるんだ……)
「……失礼なこと考えてるだろ」
「え、や、別に。ラシュウでも知らないことあるんだなーって思ってただけ」
 何て正直な口だろう、と思ったのはどちらか(寧ろ両者が思ったかもしれない)。
 ラシュウが額に青筋を立てる。
「…………お前、俺のことを何だと思ってんだ」
「精霊だけど?」
 そうじゃねぇよ阿呆! と怒鳴り返すラシュウに、意味が分かっていないミーシャは首を傾げる。
(うーん……本当のことを言ったんだけどなぁ)
 だって、ラシュウは精霊だし。
「もういい……お前相手にしてると疲れる」
「ちょっ! ひっどーい」
 酷いのはどっちだよ。疲れるようなことをしているのに自覚が無いのか。
「あ、ラシュウ!」
 今度は一体なんだ。ミーシャに視線を移すと、怖いぐらいに爛々と目が輝いていた。
「とてもお腹すいたんで食べていいですか!?」
 ノンブレスで発言された台詞に、一瞬意味が分からなかった。
 ふと、鼻をくすぐる匂いが漂っていることに気付いた。
(……そういえば、ここに来るまでに随分無茶させたんだっけか)
 見渡してみるとその匂いの元は、彼女が指し示す建物の一つだった。
「俺にも食べさせろよ」
「えー」
 そう言いつつも、彼女の顔はほころんでいる。
 軽くスキップしながら、ミーシャはその匂いの元である店に入っていった。後を追いかけるようにしてラシュウも入ると、視界に入ってきた光景にぎょっとする。
「嬢ちゃん一人か?」
「ううん、違うよー。ほら、コレ」
「ん? ……ああ、スマン。ちっこくて見えんかった」
 コレ言うな。それに小さくて悪かったな!
 ラシュウの怒りをよそに、ミーシャは話しかけてきた厳ついおじさんに案内されて、空いている席に通された。慌ててラシュウも追いかける。
「ご注文は?」
 どうやらこの厳ついおじさんは店員だったようだ。ズボンのポケットからメモ帳のようなものとペンを取り出すと、問いかけてくる。
「んーと……日替わりランチとミルクで!」
「あいよ。ちょいと待ってな」
 さらさらとメモをしたおじさんは賑わう店内に消えていく。
 ワイワイがやがやと賑わうこの雰囲気は、まるで酒場のようだとラシュウは思った。
(……もしかして、入る店間違えたか?)
「すっごい活気あるよねー」
「……そう、だな。さすが、港町というべきか」
 楽しそうな表情のミーシャとは打って変わって、ラシュウの表情は引き攣っていた。これは活気があるとかそんな次元じゃないぞ、ここは。
 あきらかに食べ物の匂いに混ざって酒の匂いもする。
 現在の時刻はまだ正午を過ぎた辺りだ。酒を飲むにはまだ早い時間帯だ(と、ラシュウは思っている)。
 暫く店内の賑わいを観察していると、先程のおじさん店員がやって来た。
「待たせたな。日替わりランチとミルクだ」
 かちゃり、とあまり音をたてずにテーブルの上に注文の品を置いた。
「んで、悪いんだがここは前払い制だ」
 ぺらりと渡された紙を見つつ、ミーシャは請求分の代金を支払う。それを受け取ったおじさんはにかっと豪快に笑むと、「そっちはオマケだ」と言い残してまた店内に消えていった。
「……あ、なるほど」
 おじさんの台詞を理解していなかったミーシャは、小首を傾げつつもテーブルの上に置かれた料理に目をやる。そして納得する。何だかラシュウはしかめっ面だ。
 日替わりランチと称されたサンドイッチと海藻サラダ、そしてスープのセット。そのサンドイッチの皿の上に、注文したものの半分ほどの大きさのサンドイッチが同じ数載っていた。
 なるほど、オマケね。
「よかったねー。ラシュウの分だって」
「うるさい」
 ニヤニヤと笑いながら言ってくるミーシャを一蹴し、その小さいサイズのサンドイッチを手に取った。ぱくり、と一口口に含む。
「私も食べよー」
 それを見倣ってか、ただたんにお腹がすいていたからか(きっと後者だろうが)ミーシャもサンドイッチに手を伸ばした。大きさの違う、けれど同じ二種類のそれを見て、思わず笑みがこぼれ出た。
「笑いながら食べるな。気持ち悪い」
 べしっと叩かれた。
「痛いよっ」
「んな強く叩いてねぇぞ、バーカ」
 憎まれ口を叩くラシュウに、叩かれた部分をさする。痛いったら痛いんだ。その小さい体のどこにそんな力を隠し持ってんだ。
 はぐはぐと一つ目のサンドイッチを口の中に詰め込むと、二つ目を手に取った。
「もらうぞー」
「んぐ? ……あー!」
 いつの間にか、ラシュウがミルクの入ったグラスを持っていた。
「ちょっと、何飲んでるのよ!」
 ずずーとストローで液体を飲む彼が、ギロリと睨んできた。
「喉に詰まんだよ。パン、もさもさするから」
(その理由は何となく分かるけど、勝手に飲むなー!)
 そうこうしている内に、グラスの中の白い液体は半分ほど減っていた。はぁ……、と溜息を吐きそうになりつつも、ラシュウからグラスを奪う。
「まったく……」
 ストローを銜えて、ミルクを飲む。
 少し獣臭いそれは、微妙に甘い後味があった。ここに来るまでに小さな牧場があったから、きっとそこから仕入れているのだろう。
「…………何よ?」
 感じる視線に言葉をかければ、ラシュウははっとして、首を横に振って視線を逸らした。
 何だか落ち着かない彼の態度に疑問を抱きつつも、ミーシャは食事を続けた。



(――――視線?)

 それに気付いたのは、席について暫くしてからだ。
 テーブルの縁に座っていたラシュウは、ミーシャに気付かれないようにそっと辺りを見回す。
 正午を過ぎているというのに店内は閑散するどころか、ざわざわと賑わっていた。誰もが飲み物を片手に語り合っている中、ぞわりと纏わりつくような、嫌な視線は未だに向けられている。
 ――不意に、まるで掻き消されてしまったかのようにその視線が感じられなくなった。
 いきなりのことに内心驚きつつ注意深く辺りを見るが、何も見つけることはできなかった。
(……何だったんだ、今の……)
 視線は無くなったはずなのに、嫌な予感は拭えなかった。

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