風は外の世界へ飛ぶ 2

「――――うわわあああぁっ!!」
 ソーフォの風(というより暴風だが)に吹き飛ばされたミーシャは、しかし、その力の効力が消えたことに気付いて悲鳴を上げた。
 けれど、悲鳴を上げたからといって何かが変わるわけでもなく、重力に逆らうことなく草地に落下した。
 ドスン!
「……」
 ふわふわと降りてきたラシュウは、地面に横たわる少女を見てため息を吐きたくなった。
 風の民の中でも力は強い方だと、長は言っていたはずなのに……何というか、疑いたくなってしまう。
「いったぁ……」
 うつ伏せで落下したからだろう、ミーシャは顔面を強打していた。呆れた視線を送っていると、彼女は鼻頭を押さえて起き上がった。
「……まぬけ」
 ふん、と思わず鼻で笑ってしまった。
「んなっ! 笑うことないでしょ!」
 がばり、と体を起こしながら、鼻で笑われたことに怒りよりも、恥ずかしさが勝って顔を紅潮させながら声を上げた。
「いや、まさかなぁ……」
 ラシュウはにやりと口元を笑みの形に歪ませた。
「ソーフォの風で着地に失敗する奴がいるとは思わなかったんでな」
 うぐっと言葉に詰まった。
 彼の台詞に、ミーシャは反論はおろかぐうの音も出ない。
「し、仕方ないじゃない! ソーフォの風は初めてだったんだもん!」
 ソーフォの祭壇で行うことの一つに、対象物を遠くに飛ばすことがある。立地条件、風依石かぜよりいしの石柱、自然の気が集まりやすい場所。諸々の要因が重なってできたのがあの祭壇だ。
 今回はその石より生み出される風の力を利用して、遠くまで飛ぶ予定だったのだが。
「初めてでも、大抵の奴はちゃんと着地してんだよっ」
 というか、ほとんどの奴がはじめてだ!
 ソーフォの風を使ったのは、何もミーシャが初めてではない。以前にも何人かが使っている。
「で、でも……まさか、あんな嵐みたいなのだとは思わなかったんだよ……」
 先ほどのことを思い出して、ミーシャは思いっきり顔を顰めた。
 あの時、ソーフォの風は確かに成功していたのだ。
 しかし、その力は凄まじく風が暴れだした。本当はそれを自力で制御しつつ飛ばなくてはいけないのだが……まだ経験の浅いミーシャにはそれができず、半ば暴走した風に吹き飛ばされてしまったのだ。
 そして、それに目を回したミーシャは受け身をとることもできずに落下したのである。
 一緒にその嵐を味わったラシュウは、露骨に嫌な表情を浮かべた。
「……それは、まあ、否定しない」
 思い返すだけでもおぞましい。
「だよね!」
 そうだ、あんな嵐で華麗に着地なんてできるはずがない。断言できる。
 しかし、「でも」とラシュウは片目をすがめた。
「その風を操ってこその風の民だろうが」
「うっ」
 もっともな所を突っ込まれてしまうと、もうどうしようもない。
 風の民は、その名にあるとおり風を操る民族だ。例え暴風が吹き荒れようとも、うまく操れば風はおとなしくなる。
 どんな風にも対応できるように日々練習をしてきたはずなのだが……結果的にいうならば、まだまだだったということだ。
「ま、まあ……その話はとりあえず置いといて……」
「貴様言うな」
 ……仰るとおりで。
 ため息を吐きそうになるのを堪えて、傍に落ちていた荷物を抱えて立ち上がった。
「でさ、ここからどうすればいいの?」
「阿呆が」
 無表情で返されてしまった。
 ラシュウはふわりと宙を舞い、ミーシャの肩に片足を下ろした。
「人に聞く前に自分で何とかしようと思わねえのか?」
「だって……知ってるなら、聞いたほうが早いかなぁって」
 なんとも投げやりなミーシャの言葉に、呆れたのだろうラシュウはため息を吐いた。
「馬鹿か? 何の為に外に来たんだよ」
 何の為、と聞かれて、そういえばとこれまでのことを思い返す。
 朝起きたらラシュウがいなくて、技の練習もグダグダで、そこにラシュウが現れて、長が呼んでいると言われて。何だろうと思って行ってみると、彼は「外の世界へ行ってみないか?」と言ったのだ。
「おい、肝心なところが抜けてんぞ」
「え?」
「『見聞を広げるのに』外の世界へ、だろうが」
「……そ、そうだっけ?」
 そういえばそんなことも言っていたような気がする……。
「……あ、いつだったか忘れちゃったけど」
 いつかの日の夜。月が真上に来ていた、静かな時のことだ。
「私が『外の世界を見てみたい』って言ったの覚えてる?」
「……当たり前だろ」
 その時はすごく驚いたのだから。
 って、今はそんなことを話している場合じゃない。
「話を戻すが、長の話聞いてなかっただろう?」
 それは疑問系であったが、有無を言わせない断定的な台詞だった。
 半眼になっているラシュウに視線を合わせられない。
「………………はい」
 あちらこちらへ視線を彷徨わせるミーシャに、柳眉を逆立てる。
「……とりあえず」
 少しミーシャから距離を置いて一息つく。
 長に彼女のことを任された以上、ここでグダグダとしていても仕方ない。
 やれやれと肩をすくめながら今後のことを話す。
「『お前の風を操る力は未熟で危なっかしいから、まずはソーフォの風でアルセウス島に行って船に乗れ』だってよ」
 未熟で危なっかしいのにソーフォの風をやらせるのはどうかとも思ったのだが、もう後の祭りだ。
 たぶん、今頃ソーフォの暴風を見たであろう長は大笑いしているだろうな。
「つまり、ここはアルセウス島で、まずは港町に行けばいいんだね」
「何だ、分かってるじゃないか」
 意外にも物分りのいいことに驚いたラシュウを見て、すごいだろうと調子づいたミーシャは、高々と腕を振り上げた。
「さぁ、行こー!」
 そう言って、歩き出した。
「ま、待て待てぇええええ!!」
「ん? どうしたの?」
 肩を掴まれて、ミーシャは歩き出していた足を止めて振り返った。何だかラシュウは疲れたような顔をしている。
「……まさかと思うが、徒歩で行くつもりか?」
「うん、そうだよ?」
 さすがにこんな所を馬車は通っていないだろう。
 現在二人がいる場所は、右を見ても左を見ても草ばかりな草原だ。
 道があれば馬車ぐらい通っているだろうが……生憎、道らしきものは見当たらない。
 いくら見渡しても草原しか見えないこの場所に、移動手段となるべきものが他に……――――
 その時、ざあっと風が吹いた。
「――あ、そうか。〈風流ふうりゅう〉使えばいいのか」
(気付くの遅ぇえええ!!)
 何だかこの先が更に不安になってきた……ラシュウは内心でため息を吐きつつ、ミーシャの肩付近に近寄った。
「ほら、さっさとやれ」
 くれぐれもソーフォの風みたいなことになるなよ?
「い、言われなくても分かってるわよ!」
 一言余計よ!
 耳元で催促したラシュウに、半ば怒鳴りつけるように声を上げると、杖を眼前に構えた。
 鳥の形を成している風依石が先端を飾る、ミーシャの背丈よりも少し大きい杖。これは、風の民が風を操る時――〈風技ふうぎ〉を用いる時に使う補助具だ。
 真っ直ぐに持った杖を見据えて、言霊を紡ぎだす。
「すべての風は時の流れと共にあり……」
 瞑目。風を感じるのに目――視覚は必要ない。肌で感じ、音を聞き、流れを読む。
集まり始めた風を風依石の力で杖に纏め、とん、と石突で地面を突いた。すると、色の無い風がミーシャの髪を翻し、水の波紋のように広がっていく。
「――――汝の風を、今ここに!」
 今一度地面を突き、詠唱と共に杖を天に掲げた。
「〈風流〉」
 直後、杖の先端の風依石から浅緑色の風が玉となって現れ、一瞬にして一陣の風となった。それはミーシャの体に纏わりつくと、足元で渦を巻く。
 ふわり、と体が宙に浮いた。
「……できた?」
「まあまあだな」
 ほっと安堵の息を吐いたところに、素っ気ない言葉を落とされる。
(…………もう、いじわる)
 できたんだから少しぐらい褒めてくれたっていいのに、と心の中で思う。
「おい、まさかこれでできたと思ってんのか?」
 心を読んだかのような彼の台詞に、ドキリとした。
「風の力を維持しつつ、流れに逆らわないように操る。力みすぎると暴れるし、抑えすぎると消えてしまう」
 ソーフォの風と一緒で、絶妙なコントロールが必要なんだ。
 いつものおりょくるのとは違う彼の雰囲気に、内心驚きつつ、笑みが零れた。
(教えてくれるんだったら、最初からそう言ってくれればいいのになぁ)
「――――おーい、聞いてんのか?」
「あ、うん。聞いてるよー」
 ラシュウは訝しげに眉を寄せた。
「な、何よその目は」
「聞いてなかっただろ。ったく……折角、俺が親切に教えてやってるのに……」
「むっ……だって」
 それはラシュウのせいだ、という前に、ギロリと睨みつけられる。
「集中しろ、集中。風が無くなる」
 そういえば〈風流〉を使っていたんだっけ。
 自分の足元を見下ろすと、緑の光が複雑な模様を描いていた。
 これは風の魔方陣だ。この陣が風と自分の力との間を取り成す、云わば媒介。
「……よし、集中」
 言い返したいけど言い返せない葛藤に苛まれつつ、言葉を飲み込んで杖に力を込めた。
(集中だ、集中!)
 風依石が淡く輝きだし、渦が大きくなった。ぶわりと勢いを増した風は、重さを感じさせない動きでミーシャの体を運んでいく。
「ま、いいんじゃないか?」
 と、言いつつ危ない動きをしているミーシャの風を、影ながら操っているのだが。
(集中すればちゃんとできるのになぁ……)
 まだまだだなぁ、と心の中で呟きながら彼女のサポートに専念した。

 ※

 港町が見えてきた。そう時間がかからないうちに、あの町へ到着することができるだろう。
「やっとだねぇ……」
 ぐったりとした声で呟くミーシャに、ラシュウは彼女の肩に座りながらぽんぽんと頭を軽く撫でた。
「お疲れ。根性見せたじゃねぇか」
 満足だとばかりに笑みを浮かべる彼の表情を横目に見つつ、はぁと溜息を吐いた。
「こ、根性じゃないわよ!」
 ここに来るまでに何度ラシュウの叱責が飛んだことか!
 力みすぎだ、力を抜け。抜きすぎだ馬鹿、適度という言葉を知らんのか?
 もうちょっと速度を上げてみろ……っあ、上げすぎだ阿呆!
 おお、やっとマシになってきたなぁ。他にも多数、エトセトラ。
(というか、「上げてみろ」って言っといて「上げすぎ」って何よっ)
 そんなわけで、ほぼ力を使い果たしているミーシャは今、とてつもない疲労を感じているわけで。
「…………お腹すいた」
 当然、疲れていればお腹もすく。体は正直者で、先程からお腹が鳴りっぱなしだ。
「そりゃあ、ここまでぶっ続けで力使ってたもんな」
 腹も減るだろー。
 なんとも軽々しくそう言うラシュウに、何故だか殺意が芽生えそうになった。
「……誰のせいよ」
「…………まあ、何だ。とりあえずよくやった」
 あらぬ方向を見ながら、そう言ったラシュウに思わず目を丸くした。
 彼にかけられた言葉がねぎらいのものであると言うことに気付いたのはすぐで。
「……えへー、褒められた」
「いや、褒めてねぇよ」
 ぐぅー。
 ラシュウの突っ込みが決まった瞬間、一際大きい腹の音が響いた。
「………………おなかすいたー」
「分かったから黙れ」
 そんなこと言われても。口は閉じれば黙るけど、腹の音は黙れないし黙らない。
「さっさと行くぞ。……あ、ちゃんと〈風流〉使えよ?」
「えっ」
 ……疲れてるのに。
 ふらりふらりと漂うような〈風流〉に乗りながら、二人は町へと急いだ。

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