ぼーと空を眺めていたイクロスは、ふと視界に入ってきた影に、目を細めた。
「……なんだろう?」
門に向かって――否、この集落にやってくるもの。
この集落に、外側からやって来る者は限られてくる。
一つは外側の世界に情報を集めに行った者。
いくら閉鎖空間の中にいるからといって、世界の情勢を知らなくては生きていけない。
――――もしも、この集落が無くなった場合の時の為にも、外の世界については少なからず知っておいた方がいい。
そしてもう一つ。
外側からこの場所を知っている者は――――
「…………」
肉眼でも確認できるほど近くなってきた影は――数人の男たちだった。皆、黒いローブを着込み、顔の上半分が隠れている。
それでも男と分かったのは体格からか。巨体とまではいかないが、全員が平均よりも少しばかり高い身長をしている。
……何だろう、嫌な予感がする。
ドクドクと心臓が不自然に跳ねた。血液が逆流していくような錯覚に、全身の体温が急激に下がっていく。
門の前で、男たちは止まった。
イクロスはのろのろとした動きで、彼らに見えないよう身を縮こまらせる。
幸いというべきか、彼らはイクロスが門の上にいることに気付いていない。
この門は外と内とを遮断する、一種の壁だ。人の三倍はありそうな大きさの門は、見上げても全貌はよく分からない。
イクロスはそっと門から降りようと動き出した。
早くはやくハヤクハヤクハヤク。気持ちばかりが焦るのに、体は思うように動かない。
何だかよく分からない。
けれども、この場にいてはいけない気がした。
そっと、魔術を展開しようとした瞬間。
ドンッ、という鈍い衝撃と共に足場が崩れた。
「――――ッ!!?」
魔術を展開する暇も無く、足場であった門が崩れていく。
受身をとることもできずに、イクロスは瓦礫と共に地面に落ちた。
背中から落ちたイクロスの上に、バラバラと瓦礫が落下してくる。それをひたすら魔術で避けながら、しかし頭の中は混乱していた。
ドウシテ。何が。ワカラナイ。
これは、一体何?
一瞬前まではあった門が、今は跡形も無く。瓦礫の山となったその中にイクロスはいた。
何が起こったのか脳は判断を鈍らせ、体は鉛のように硬直して動かない。
砂埃が辺りを埋め尽くす中、ずさっという音がやけに大きく耳に届いた。
「……ガキ?」
声が、背後で響いた。
固まってしまった体をギシギシといわせながら動かして、後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、先ほどの男たち。
その全員が、イクロスを見ていた。
「どうするよ?」
左端の男が問いかけた。
「……遊びには、なるんじゃね?」
「だな。もうすぐ他の奴らも来るだろうし」
ニタリ、と男たちは笑った。
イクロスは動くこともできず、カタカタと歯を震わせた。
恐怖。恐怖。恐怖。全身の血が凍るほどに感じる彼らの狂気に、イクロスはただ動けない体を必死に動かそうとした。
尻餅をついたまま後ずさる。
「…………いやだ」
小さな呟きは、風に紛れて誰の耳にも届かなかった。
※
門が破壊された瞬間、集落全体が震撼した。
「何だっ!?」
「まさか、あいつら戻ってきたのかっ!?」
大人たちは驚愕しながら走り回った。
「あいつはどこだ!」
一人が、怒号を上げた。
それに感化されたかのように、大人たちの目の色が変わる。
畏怖を帯びた、瞳。
「あの“異形”はどこだ!」
『あの子供はどこだ』
『あの“異形”はどこにいる』
『“異形”を探せ』
『あの“異形”の存在を知られてはいけない!』
まるで何かに急き立てられるかのように、大人たちは喚きあいながら、それこそ文字通りの死に物狂いで探し回っていた。
あいつらに渡してたまるか“異形”は我らのものだそうだ我らのモノだ。
これからのことに役立つ、我らに必要な
大人たちが狂喜を滲ませながら叫ぶ中、一人の男は真っ先に門のあった場所に駆けていった。
ここから門まではそう遠いというわけではないが、近いわけでもない。
男は一度舌打ちすると、即座に魔術を紡ぎだす。
「――〈
短く紡ぎだされたそれは、瞬時に男の体に纏わりついていく。
光の筋が男の体を一周すると、ふわりと体が浮いた。
それは体を風のように軽くする術。普段は遠いところに移動するときに、補助としてつかうものだ。
あまり実用性には向いていないが、この時ばかりはこの術に感謝した。
「…………無事で、いてくれ……イクロス」
男は呟いて、一気に駆け抜けた。
そこに辿りつくまで、そう時間はかからなかった。
だが、男からすれば時間はかかり過ぎたのかもしれない。
「――――ッ!!」
男が辿りついた時、そこは悲惨な状況と化していた。
集落を守る形として立っていた門が、跡形も無く壊されている。
あの門は特殊な術を施してあり、魔術以外では破壊できないようにしてあったはずだ。
それが、壊されている。
「……」
ふと、門があった場所に複数の人影があることに気付いた。
男が三人。一人は瓦礫の山に腰をかけて、一人は地面に座っている。
そして、もう一人はケタケタとおかしな笑みを浮かべていた。
「…………イクロスッ!」
笑みを浮かべている男の足元には、少女が横たわっていた。
ぴくりとも動かない体を見て、怒号を上げた。
その声を聞いた男たちがこちらを振り向く。その瞬間、腕を振り上げた。
「身を焦がす炎は焼けつく蛇を閃かす――〈
男の手に、仄暗い炎が灯った。
それは一瞬にして蛇の姿を成すと、火の粉を撒き散らせながら一直線に男たちに向かっていった。
「ハハッ!」
だが、少女――イクロスを踏みつけている男が声を上げると、腕を振りかざした。
男の目の前にまで迫ってきた炎蛇が、その瞬間何かに弾かれたかのように霧散した。
「ナァ、お前がアラスって奴?」
魔術を弾かれたことに驚愕していた男は、その言葉にはっとして目を半眼にする。
「……だったら、何だ」
男――アラスはそう答え、いつでも迎え撃てるよう魔術を生成していく。
だが相手は何でもないように、しかしどこか含みのある不気味な笑みを浮かべて、瞳を輝かせた。
「じゃあこのガキが“異形”ってわけか?」
「〈炎閃蛇〉!」
「うおっ!?」
再び放った炎蛇は、しかし目標を燃やすことなく消滅する。
アラスは眉を顰めた。彼らの背後で静観していた二人が、いつの間にか立っていた。
「……何者だ、お前たちは」
声を低くして、獣が唸るように問いかける。
「アレェ? もしかして分かってない?」
「……“はぐれ”といえば、わかるだろ」
その単語に、アラスははっとして彼らを睨みつけた。
“はぐれ”は、元はこの集落に暮らしていた魔術師だ。
しかし己の持つ強大な力に溺れ、破壊行動を繰り返し危険分子と判断された。
魔術の使用を禁止され、その力を封印された者。
彼らは魔術の力を封印された後は集落を追い出されて、外の世界で暮らさざるを得なかった。
外側の世界で、この場所を知っているもう一つの存在。
「何故、お前たちがここにいる。それにその力は……っ」
「マァ落ち着けよ。俺たちがここにいるのは……そうだな、上の指示ってヤツ?」
軽い口調の男はそう言いながら、足元のイクロスの体を蹴飛ばす。
うぐっ、と小さな呻き声が漏れでた。
「んで、“異形”って子供がいるからつれ」
「その汚い足を退けろ」
男が言葉を出すよりも早く、アラスはそう言い放った。
「……フゥン。何々、この子そんなに大事?」
アラスの反応が意外だったのか、しゃがみこんだ男は少女の体を抱え上げる。
「当たり前だ。テメェなんざに触らせたくも無い」
「俺触ってるー」
「さっさとその汚い手も離せ。寧ろ消え失せろ外道」
矢継ぎ早に言葉を吐き出すアラスは、額に青筋と立てて拳を震わせた。
立ち上がった男は少女の顔とアラスとを見比べると、ニタリと笑う。
嫌な予感というよりも、直感のようなものを感じた。
「あげないけど……手は離してアゲル」
はっとして、動いた瞬間には遅かった。
彼はこともあろうに、少女の体を空高く投げ上げたのだ。意識を失っている体はぴくりとも動かず、しかし高く上がったと思った時には落下を始めた。
「ッ!」
イクロスを助けようと動いた体は、しかし感じとった魔力に反射的に跳び退る。
「アハハ、よそ見すると死んじゃうよ」
「……えげつねぇ」
笑う男の背後で、一人がぼそりと呟いた。
「無数の残戟は舞い踊る――〈
男の声に、空気中を漂っていた水気が反応した。
水気は集まり水と成る。その水は徐々に大きさを変えていき、分裂を繰り返していく。幾つもの水球は形を変えて槍のようなものになると、瞬く間にアラスに襲いかかった。
慌ててアラスは防御の術を唱えつつ後退する。
一寸前までいた場所に水の槍が落ちていく。しかし槍の数はいっこうに減る気配を見せない。
右へ左へ後ろへ前へと避ける。
「ナイスキャッチ」
不意に響いた声に、意識が逸れた。
同時に、足を貫く感覚が脳神経を揺さぶった。
「ぅあ……ッ」
水の槍が右の太腿を貫いていた。
好機とばかりに他の槍も、まるで意思があるかのように動き、アラスの体を貫こうとする。
「――……〈
しかし槍が彼の体に到達する前に、水の膜が彼を包み込んだ。
半円状のそれは彼の体を貫こうとする水の槍を弾いていく。
「……くそ」
いつの間にか、投げ上げられたイクロスは男たちの手に戻っていた。いまだに沈黙を保っている男がイクロスの体を抱えていて、思わず舌打ちする。
地面に叩きつけられるようなことは無かったが、これはこれで大問題だ。
「ネェ、こいつにも用はあるけどお前にも用があるんだ」
軽口の男が、ニタニタと笑いながら言った。
「確かこいつの研究してるんだよね? ……一緒に来てヨ」
思いがけない言葉に、ハッと鼻で笑ってしまった。
「お前らと一緒に行って、どうする気だ?」
誰を、何て主語は今更いらない。
男は怪しい笑みを浮かべながら、目を覚まさないイクロスの頬を触った。
「俺に聞かれても知らねぇヨ? きっと
その身に秘められた力は未知数。“異形”とまで呼ばれる少女の中にはどれだけの魔力が詰まっているのか。
その力のせいで、イクロスは集落の中で畏怖の視線を向けられて暮らしてきた。それがどれだけ辛かったのかは、本人しか分からない。
力があっても暴走しては恐怖の対象。いまだその兆候は現れないが……いつか、それは現れてしまうだろう。
その前に、その力を封印してしまえば……そう、アラスは思ったのだ。
だから必死に魔術の研究を進めた。
時間が惜しかった。日々過ぎていく時間は何も生み出さず、幼い少女の力は徐々に増していく。
最近になって、やっと封印する術を見つけた。
今日はそのことも含めて、久しぶりにイクロスに話そうとしていたのに。
なぜ、どうして……こんなことになったのだろう。