堕ちた魔物は天を仰ぐ

欲しい言葉は、欲しかった言葉は

 今日はちょうど新月だった。
 月の無い空には星々が明るく輝いているが、それでも暗いことには変わりない。
 カノン、レオン、ホルン、そして彼らの話を聞いたセーレンは、トウカに言われたとおり墓地にやってきた。

「あの野郎……調子に乗りやがって」

 未だにトウカに良い感情を抱けないカノンは、あの話が終わってからも怒りをおさめられないでいた。
 それは夕食時も続いた。食物を摂取しなくてもいい想起精霊たちだったが、トウカの母が人数分の夕食を作ったのでありがたく頂いたのだが……カノンが一方的にトウカを敵視して半ば修羅場に近くなった。
 和やかな夕食を台無しにしたカノンは手早く夕食をとるとすぐに出て行ったのだが、訳が分からないイクロスがトウカに疑問を投げかけるが、別にとかわされてしまったのでまた別な雰囲気のまま夕食は続いてしまった。

「次あんな態度をしたら殴り飛ばしてやる…」
『煩い。静かにしろ』

 隠形しているレオンが言い放つ。カノンは口を閉ざした。
 現在彼らは墓地全体を見渡せる丘の上にいる。近くに墓地の管理をしている小屋があるが、今はあまり使われていないのか古びて今にも崩れ落ちそうだ。
 その小屋の影に隠れながら、しかしトウカの言ったことが未だに分からず苛立ちばかりが募る。

「くそっ……何なんだ」
『……カノン、火を灯せ。なるべく明るくしない程度に』

 唐突にホルンが口を開いた。いきなりのことに驚きつつも、カノンは彼の言葉に従って火を灯す。立てた人差し指の先に、青白い炎が生まれた。小さなそれは明るいとはいえないが徐々に辺りを照らしていく。
 墓地に、人影が落ちた。

「……イクロス?」

 影の持ち主はイクロスだった。カノンは疑問に思いながらも、動かずにじっと見つめる。
 ゆっくりと重い足取りの彼女は、あの場所で足を止めた。

「…………」

 隠形していた三人が、カノンの背後で音も無く顕現した。
 トウカの言っていたことはこのことか。しかし何故? 全員は同じ疑問を思い浮かべていた。

「……とう、さん……」
「!?」

 イクロスの弱々しい声が、耳に届いて、四人は愕然と目を見張った。――彼女は、なんと言った?

「今、『父さん』って言ったよな…?」

 カノンが確認するように呟くと、三人は頷いた。

「しかしあれは叔父のものだと……」

 トウカは言っていた。あの墓はイクロスの叔父のものだと。
 しかしイクロスは、確かに父さんと呟いた。分からないことばかりが蓄積していく。

「お父さん……私、ちゃんと魔術師になれた」

 悲痛な声が耳に届く。

「……ちゃんと、想起精霊も召喚できたよ……」

 遠目からでも分かる。
 彼女の瞳から涙が溢れ出し、頬を伝っていった。

「――――でもっ! でも、この気持ちを……置いていくことは……できなかった……ッ」

 いつもいつも大人びていた少女。嬉しい時は笑って、憤った時は怒鳴って、哀しい時は哀しんで……それでも、涙を流すことはなかった少女。
 その少女が、まるで幼子のように泣いている。
 耳に届く声に、四人は胸の奥が痛んだ気がした。

「アイツ……」
「……辛かったんでしょう、ね……」

 セーレンの台詞に、誰も何もいえなかった。
 彼女が辛い時ほど何も言わなくなったことに気付いたのは、いつの日だったか。
 それとなく聞こうとするホルンとセーレンに、しかし彼女は何も答えず話を逸らす。
 いつも明るく笑顔を浮かべていて、悲しみを出さない小さな主。


「――――私が、あんなことにならなければ……ッ」


 ふと、耳に届いた言葉に全員が息を止めた。
 ――……彼女は何を言っている? あんなこと、とは一体なんだ?
 一体、何があった?

「あいつは、この集落に戻ってくるたびにここで泣いている」

 唐突に響いた声に、はっとして振り返るとそこにはトウカが立っていた。

「どういう意味だ?」
「あいつは叔父を本当の父親だと思っている」

 だからか、と疑問に思っていた一つが彼の台詞で納得した。
 しかし、今重要なのはそこではない。

「今のは?」
「……何がだ?」

 カノンの言葉に、分からないとトウカは首を傾げる。しかし、その表情はどこか嘲るようなもので、内心怒りがふつふつと湧き上がってきた。

「あんなことにならなければ、とあいつは言った。それは」
「俺の口からそれを言うことはできない」

 カノンの言葉を遮るように即答したトウカは、彼を睨みつけるように目を細めた。

「何故だ」
「俺は、確かに知っている……あいつの言葉の意味を」

 まるで諭すような、それでいてどこか哀愁を漂わせている彼の言葉に、怒りが消えた。
 逆に浮かんでくるのは――――――

「知っているからこそ、俺の口から出せるものではない」

 ――――愴然とした、悲痛な、嘆き。
 口を閉じたトウカ。彼の台詞に何も言えなくなったカノンは、ただ彼を見ているだけしかできない。
 カノンよりも一歩下がった所にいる三人も、その雰囲気に口を開くことはできなかった。
 トウカは四人を睨みつけるように見て、遠くにいるイクロスを一瞥する。

「…………あいつは、この里では異端なんだ」

 ぽつりと落とされた言葉。
 四人は訝しげな視線をトウカに向けるが、当の本人はそれを無視して話を続ける。

「子供の頃から、それこそ生まれた瞬間から。……イクロスは、畏怖する存在として扱われた」

 幼子は大人たちから向けられる畏怖と憎悪の視線に、毎夜泣いていた。
 それを知っていたのはほんの一握りの人たちだけで――――その一人であるトウカは、脳裏をかすめる幼い頃のイクロスの姿に、胸が痛んだ。

「この里の人間は、イクロスの存在を疎ましく思っている。一部の人間に例外はあるがな」
「……お前か?」
「さあな」

 ホルンの疑問に、トウカは曖昧に答える。

「疎ましく思われているが故に、あいつは自分の感情を押し殺した」

 はっとした瞬間、四人は透明で鋭利な刃が胸に刺さった気がした。じくじくと痛み始めた胸の奥に、堪えるように奥歯を噛みしめる。

 楽しい時は一緒に笑う。
 考える時は一緒に悩む。
 悲しい時は、元気づける。
 いつも考えるより先に、体が動く。

 ――――泣くことは、なかった。

 いつも笑っているのに、泣いたところを見たことがない。
 自分の感情を押し殺して、今まで付き合ってきたのだろうか。それがどれほどの苦痛だったのか……今では、知る術はない。

「行け」

 ぐるぐると渦巻く感情が、一瞬にして消え失せた。
 いつの間にか俯いていた顔を上げると、目の前に立つ青年が、ふっと微笑を浮かべた。

「悩む前に行け。お前なら……大丈夫だ」

 何が大丈夫なのか、悩む前に体は動いていた。
 ――向かう先は小さな主。
 何をしたいのか、何がしたいのか。悩んでいる頭は、何故か冴えていた。
 走り出したカノンを見送ったトウカは、残された三人に向き直る。

「おまえたちは行かないのか?」
「……全員で行ったら、変に思われるだろ」

 ホルンの言葉に、そりゃそうだ、とトウカは含んだ笑みを浮かべる。

「アイツが行ったんだから、大丈夫だ」

 ――それを分かっているのはお前だろう?
 ニヤリと笑うホルンをちらりと見たトウカは、すぐにその視線を外した。



「――――イクロスッ!」
「っ!?」

 突然聞こえた声に、我知らず息を呑んだ。
 イクロスはおそるおそる振り返ると、そこには見慣れた銀髪の彼の姿。

「ど、どうして、カノン……?」

 息が乱れているところを見ると、走ってきたのだと分かった。しかし何故彼がここにて、走ってきたのかが分からない。
 とにかく今は泣いている所を見られたくなくて、溢れ出た涙を隠すように俯いた。

「な、何でいるのっ」
「……別に」

 答えになってないっ! 心の中で叫ぶものの、それが届くわけでもなく。
 俯いているために彼の顔を見ることができないので、彼が今どんな表情をしているのかも、イクロスには分からなかった。

「それに、俺はずっといた」
「え……っ!」

 彼の言葉に、頬に熱が集まった。

「えっ、あ、え……?」
「だから、オマエが泣いているところも見てた」

 更に集まってきた熱をどうすることもできずに、イクロスはごしごしと目元を拭うと顔を上げた。
 改めて見たカノンは……どこか、悲しそうな表情を浮かべていた。

「……カノン?」
「…………なぁ、俺たちはそんなに信用ないか?」

 突拍子もなく放たれた疑問に、イクロスは内心驚きつつも否と首を横に振った。

「い、いきなり、どうしたの?」

 上手く笑えているだろうか……?
 必死に笑顔を浮かべながら首を傾げると、カノンは眉を顰めた。

「…………笑うな」
「え……?」
「笑うなよ。……辛いのに、笑ってんじゃねえよ」

 胸の内を抉るような台詞に、笑顔が固まった。

「辛いんだろう? だったら、泣けばいいじゃねえかッ」

 辛いのはどちらだ。今にも泣きそうなのはカノンの方じゃないか。
 そう口に出そうとして、漏れたのは嗚咽。止まったはずの涙が、再び溢れてきた。

「な、んなのよ……っ」

 情緒不安定な自分自身に怒りがこみ上げてきて、その反面そんな自分が情けなくて。
 何かに縋りつきたい衝動が体全体を貫いた。

「わけ……わか、んないっ」

 目元を覆うように手をそえて、嗚咽を噛み殺す。
 分からない。意味が分からない。何故、彼はここにいる。何故、彼はそんなことを言う。何故、何故、何故、そればかりが駆け巡る。

「分からないのは、俺の方だ」

 うっうっと泣くことを止められず、頭上から零れてきた台詞がやけに耳に響いた。

「なあ、辛いなら抱え込むなよ。……俺は、俺たちは、何の為にオマエの傍にいるんだよ」

 最初は、ただ彼らを召喚することが、立派な魔術師になる為の一歩だと思っていた。
 自分の持ちうる全ての力を引き出し、成功した術。出会った四人の想起精霊たち。

 これでまた近づけると思っていた。尊敬という念を抱いていた、父に。

 ――それに変化が訪れたのはいつだっただろうか。
 彼らと一緒にいることが楽しいと感じたのはいつだっただろうか。

 最初は、ただ自分の目的の為に彼らを欲した。

 それが今では…………傍になくてはならない存在に、なった。





「……だ、いやだ。はなれていかないで」

 滑り落ちた本音。

「はなれていかないで。……ひとりにしないで」

 膝から力が抜け落ちた。
 ぺたんとその場に座り込んだイクロスは、ただ思い浮かぶままの自分の本音をさらけ出した。
 さみしい。さみしい。ひとりはいやだ。かなしいよ。はなれていなかいで。
 わたしを、独りにしないで。

「――俺は、オマエを独りにしない」

 ふわりと鼻腔をくすぐる匂い。そして暖かいものに包まれた。
 それがカノンと気付くのはすぐで。溢れていた涙が、まるで塞き止められたかのように止まった。

「俺は、俺たちはずっと傍にいる。絶対に離れないって約束する」

 背中に回された腕が、痛いぐらいに締めつけてくる。それが妙に心地よくて、カノンの言葉に嬉しさがこみ上げてきて、イクロスは泣きながらも笑みを浮かべた。

「……ごめん、ありがとう」

 こんなにも嬉しい気持ちになったのは、きっと欲しかった言葉を彼がくれたからだ。

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