堕ちた魔物は天を仰ぐ

月の下で蠢く闇、狂気の閃光が煌く

 乾いた北風が通り抜けた。岩が剥き出しの山岳地帯に草は生えておらず、生き物が暮らしている気配も無い。
 そんな場所をイクロスたちは歩いていた。

「疲れたぁ……」
「貴様は疲れないだろう」
「それは言えてる」

 何気なく言ったカノンの台詞に、レオンは間髪入れずにぶった斬り、ホルンは頷いてレオンに同意する。
 三人の意味の無い雑談が何も無いその場所に虚しく響き渡る。

「疲れるもんは疲れるんだから仕方ねーだろ!」
「いばるなって」
「馬鹿だから仕方ないよ」

 ホルンの言葉に被せるようにイクロスが言うと、カノンの表情が一変した。

「馬鹿とは何だ! 馬鹿とは!」
「そのまんまの意味だよ。馬鹿だから分かんないかー」

 瞬時に返してくる発言に、カノンはなす術も無く完封負け。イクロスは勝ち誇った表情を浮かべたが、次のレオンの言葉にまた表情を変えた。

「ところで、どうしてここを通らないといけないんだ? 別な道の方が楽だったろうに」
「うっ。そ、それは……」



 時は数時間前に遡る――――

 イクロスたちが舗装も何もされていない獣道を歩いていると、とある分かれ道に差し掛かった。
 右の道は薄暗い森へ、左の道は険しそうな山岳に続いていた。
 体力面から考えると険しい山岳の道よりも、森に続く道を選んだ方が無難だと思っていたレオン。
 しかし何を思ったかイクロスは左の道を選んだ。
 言わずもがな左は険しい山岳の道。明らかにその選択は間違っているとは思いつつ、背後に暗雲を垂れ込めて反論は赦さないと笑ってない目でイクロスに睨みつけられれば……否と声を上げることはできなかった。
 そして歩き続けること数時間。背後に垂れ込めていた暗雲も消え失せたイクロスに、やっと疑問を問いかけることができたのだ。

「それは仕方がないでしょう。イクロス様は虫が大の苦手ですから」

 ぽろり、という効果音がつきそうなほど簡単に出てきた言葉。しかし、その声は問いかけた本人ではなくその隣にいる少女の声。
 思いがけないセーレンの一言に、カノンとレオン、そしてホルンは虚を衝かれた。

「「虫?」」
「セーレン!? それは言わない約束だろ!」

 イクロスは顔を真っ赤に染め上げながら怒鳴り声を上げるが、セーレンはニコニコと笑顔を浮かべるだけで、全く悪いと思っていないようだった。まるで天使を面を被った悪魔のよう。

「ほおー……虫が苦手とはねぇ」

 一方、意外なところでイクロスの弱点を知ったカノンはニヤリと不気味な笑みを浮かべながら口の端を吊り上げた。
 それを見たイクロスは、ひくりと自分の頬が引き攣るのを感じる。

「だ、だって、気持ち悪いじゃん!」
「やっぱ、そういうところはお子さまだよなぁ」

 カノンの嫌味攻撃が炸裂。

「何だと!?」
「怒るところもお子さま」
「――――っ!!」

 怒りに我を忘れたイクロス。今回は冷静に相手の弱みを突いていったカノンの逆襲が勝利した。

「でもさ、そういうところってやっぱり女の子だよな」
「……はぁ?」

 ホルンの何気ない言葉に敏感に反応したイクロスは、低いドスのきいた声を発した。
 ヒィッ、と心の中で悲鳴を上げたホルンは、そのいいようも無い悪寒に我知らず後退る。

「……な、なんでも、ない」

 これは完全に怒っている。何も言わない方が身のためだ。
 内心で納得したホルンは一番被害の少ない方法でイクロスの猛襲を回避した。

「あ――――っ! もうむかつく――――っ!!」

 イクロスが空に向かって叫んだ。青く澄み渡った雲一つ無い空に、透き通るようにその叫びは吸い込まれていく。
「レオン! 町まで行こう!」
「なっ……!」

 八つ当たりの対象にされてしまったレオンは抗議しようと口を開こうとした。
 その瞬間、イクロスに睨まれた。

「問答無用! 今やれ! すぐやれ!! さっさとやれ!!!」

 命令形の言葉が三連発。思わず目を丸くしてしまったレオンは、一拍置いた後に、小さくため息を吐いた。
 今のイクロスはいつにもまして不機嫌だ。ここで従っておかなくては命が無いかもしれない……。
 なす術も無く、レオンは〈風龍〉を使わざるおえなかった。



 ※



「……それにしても、虫に弱いのか」

 〈風龍〉を使い町に着いたイクロスは、早々に宿を探してチェックインするとすぐに部屋に入り閉じこもってしまった。何か嫌な予感を感じた四人は、隠形はせずそのまま宿を後にしたのだった。
 今彼らがいるのは落ち着きのある公園。ど真ん中に噴水があり、その縁には羽を休めるように白い鳥がとまっていた。

「特にケムシが嫌いだと言っていましたよ」
「へぇ! ケムシか!」

 セーレンの言葉に、また一つ弱点を知ったカノンは喜びの声を上げた。

「お前らいい加減にしておけ。そうしないとイクロスに何されるか分からないぞ」
「何かって……何だよ」
「うーん……例えば、呪いとか」

 呪い、という言葉に反応したセーレンとカノンは慌てて口を塞ぐ。今更塞いでも意味が無いとは思うのだが……とホルンは内心思った。

 この世界では、ほとんどの者が魔術を使うことができる。魔術を極めた者のことを魔術師と呼び、その中でもイクロスは高度の魔術師だ。
 それ故に、呪いの一つや二つは簡単にかけられる。

「言っておくけど、それは“もしかしたら”の話だからな」
「う、いや、でもあいつの場合…………ん?」

 ホルンに返事をしようとしていたカノンだが、何か違和感を感じて口を閉ざした。
 その刹那。急に魔術独特の気配がしたかと思いきや、カノンの額に光の粒子が集まりだした。煌くそれは段々一つの形のなっていき、最終的にそれはカノンの頭を一周し、光は消えた。
 そこに現れたのは銀色に輝く冠。表面には細かく紋様のようなものが刻まれている。

「な、何だこれ!?」
「部屋に閉じこもって何やら呟いていたが……たぶん、それの呪文だったんだな」
「冷静に言うな! てか、何だよこれ!」
「まさか本当にやってくるとはなぁ……マジであいつ怒ってんだな」

 慌てふためくカノンをよそに、レオンとホルンはうんうんと現実を受け入れながら納得していた。
 つまりは、そういうことなのである。

「ま、さか……」
「そのまさかですね。呪いのようですよ」

 現実という名の爆弾を投下したセーレンに、カノンは嘆く。その最中、レオンとホルンは冷静に今の状況を把握していた。
 紛れも無くカノンの額に輝くのは呪いという名を閃かせた冠。

「い、今からでも」
「無理だろう」

 カノンが最後までつむぐ前に、レオンが言い放った。

「まだ何も言ってないだろ!」
「イクロスに呪いを解いてもらう、だろ?」
「うっ……」

 図星を吐かれて、カノンはぐうの音も出ない。
 なんとも可哀想な状況に、ホルンは同情したいが……できない。追い討ちをかけるように言葉を出していく。

「まず不可能だな。あいつの機嫌が損なわれている今は特に、な。しかも〈封印の冠〉とか、かなり高度の高い魔術をかけたんだなぁ……」

 〈封印の冠〉とは、その名の通り力を抑制させる為に用いられる銀冠だ。
 その冠をはめられた者は、それを解かない限り力が抑制させられたままだ。

「きっと戦闘好きのお前が暴れられないようにしたんだろうなぁ」

 そう言うホルンは意味深げな笑みを浮かべる。それに同意するようにセーレンとレオンもこくりと頷いた。
 まるで獣のように戦いを好むカノンの力は、想起精霊四人の中で一番強い。強いが故の闘争本能なのだろうか。
 しかし、今の彼の力はホルンよりも下。もしかしたらレオンと同等ぐらいかもしれない。
 闘争本能があるからといって、今のこの状況下で戦闘に向かうのは危険すぎる行為だと、無意識の内に理解していた。

「〈封印の冠〉といえば…………イクロスも、似たようなのつけてなかったか?」
「え、そうんですか?」

 セーレンがホルンに問いかける。しかし、彼はがしがしと頭をかきつつ首を傾げる。
「いや、よく見てなかったから……見間違いかもしれないな……」



「遅かったね」

 宿に戻った四人を出迎えたのは、異様に上機嫌なイクロスだった。
 ――呪いをしたからだろうか……? 全員が顔を引きつらせた。

「……」
「どうかした?」
「いえ、別に」

 イクロスが不思議そうに首を傾げる――きっと内心ほくそ笑んでいるに違いない――と、ホルンはいつも通りを装いながら頷いた。

「やけに、上機嫌ですね」

 皆を代表してセーレンが言った。

「うん? あぁ、久しぶりに依頼がきたんだ。はりきっちゃうよ」

 どうやら上機嫌の理由は依頼がきたから――本心はどうだかは知らないが――らしい。喜びを体全体で表現しているイクロスに、カノンを除く三人が思わず苦笑を浮かべる。

「何の依頼なんです?」
「魔物退治だよ」
「本当か!?」

 退治、という言葉にカノンが過敏に反応した瞬間。

「…………」

 一気に部屋の空気が冷たく重いものに変わった。

「な、なんだよ……」
「……」

 イクロスの冷たい目がカノンに向けられる。

「でね、その依頼の内容は――」

 ――無視か! カノンだけではなく想起精霊全員が思った。

「『夜な夜な現れる魔物を退治してくれ』っていうんだよ。久々に暴れるよ」

 なんて可哀想な魔物。今日の鬱憤晴らしの対象となってしまったようだ。思わず魔物に同情してしまいそうになった三人である――無論、カノンを除く。

「それで今夜行こうと思うんだけど……」
「いいんじゃないか?」
「早いほうがいいだろう」

 上からレオン、ホルン。セーレンは口を開かずとも首肯していた。
 残るはカノンのみなのだが……やはりというべきか、最後の最後まで無視されていた。






 星が満面に輝いている頃、イクロスたちは町から外れた小さな峡谷に来ていた。
 剥き出しのゴツゴツとした赤い岩肌がどこまでも続き、吹き抜ける風は心なしか冷たい。殺風景なその場所は通る者に不安を覚えさせるようだ。

「んー……冷えるなぁ……」

 イクロスが腕をさすりながら呟いた。

「明日にするか?」
「いや、いい。早めに終わらせたいし」

 レオンの言葉に、イクロスは短く答えた。

「早く出てこないかなぁ……」



「あの、ホルン…」

 セーレンは小声でホルンを呼ぶと、レオンとイクロスから少しばかり離れた。

「カノンは……?」
「あいつは宿にいる。イクロスの機嫌が直らない以上、一緒に行動するのは…避けたい」

 それに〈封印の冠〉をしている今、いつもと同じように戦うことは無茶だ。そのことも考えて、カノンは留守番という形で一人町に残らされていた。

「でも、私たちで……守りきれますか…?」

 セーレンの一言に、ホルンの表情が少し強張る。
 想起精霊の中で、一番の力を持つのがカノンだ。二番手にホルンが続くが、その力量にはかなり差がある。二人が戦ったとして勝つのは勿論カノンだ。ホルンに勝機は無に等しい。
 そんなカノンが抜けた今、もしも依頼の魔物が予想以上に強かった場合……果たして、自分たちは主を守りきれるのだろうか。

「大丈夫だ。アイツがいなくたって俺たちがいるし、イクロスも強い」

 そう簡単にやられはしないよ。言外にそういわれ、セーレンは表情を和らげた。

 一方、宿で強制的に留守番をさせられているカノンは窓辺に佇んでいた。



「つまんねぇ……」

 小さく呟き、窓を開ける。
 開いたそこから、冷たい風が入り込んできた。
 ――――ゾクリ。異様なほど寒々しい風に、神経が逆撫でする。

「…………嫌な風だ」

 本能が警告を鳴らしている。
 何かが起ころうとしている。それは主に関することだと、無意識の内に感じていた。
 何も起こらなければいいけれど……そう思うカノンは、ゆっくりと月を見上げた。


 ――――しかし、悲劇は起こった。



「……ん?」

 レオンが何かを発見した。正しく言うと『何者か』だ。

「イクロス」
「ああ」

 イクロスのくすんだ金色の瞳が鋭くきらめく。
 いつの間にいたのだろうか。壮年と思われる男性が立っていた。こちらには気付いていないのだろう、ずっと上を向いたまま動かない。

「なんでこんな所に……お前らはここで待機。すぐ動ける準備しとけ」

 矢継ぎ早に命令すると、イクロスは足早に男性の方へ向かった。あまり舗装のされていない道の真ん中に立つ男性に違和感を感じながらも、ここにいては危険なので早々に立ち去ってもらいたい。
 あともう何歩も距離がなくなった頃に、イクロスは口を開いた。

「あの、ここは危ないですよ」

 頭一つと半分くらい背の高い男性にイクロスは声をかける。その声に反応した男性がゆっくりと視線を下ろした。
 そして、男の瞳に残虐な光が宿ったのを、イクロスは見た。

 ――刹那。


「……はっ……!」

 寒さで感覚が鈍っていたが、すぐにその衝撃は伝わってきた。
 腹部から感じた衝撃。息を吐くと同時に、生暖かい液体が口から零れる。

「きっ……さま……!」

 かろうじて自身を支えていた膝が砕ける。
 薄れていく意識の中で、男の手が鋭利な刃になっているのを見た。そして、遠くから自分の名を叫ぶ声が耳に届く。


 目の前が、闇に染まった。

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