堕ちた魔物は天を仰ぐ

彼らは動き出す、運命の軌跡に向かって

 東風が静かに吹き抜けて、地平線の向こうにまで続いている緑に萌える草原が、さわさわと揺れた。
 緑の揺り籠のように草原は暖かな雰囲気に満ち溢れている。

「おーい、暇だ」

 草を踏みしめる音。
 ――――小柄な金髪の少女と、彼女から見れば頭二つ分ぐらいは高いであろう銀髪の青年が、草原を歩いていた。
 青年は毒づくように少女に言葉を投げかける。しかし、少女は意に介していないらしく、彼の言葉を完全に無視していた。

「暇、暇、暇、暇……」
「あーもうっ! うるさいよ!」

 少女が青年に向かって怒鳴りつけた。
 しかし、青年の方はというと、聞く耳を持たずそっぽを向いている。
 ――……ふつふつと怒りがこみ上げてくる。このむかつく野郎をどうしてくれようか。……いっそのことぶん殴ってしまうか。
 ふるふると震える拳を抑えながら、少女はふと顔を上げた。

『少しは静かになさったら如何です?』
『暇ならばどこかへ行ってろ』

 唐突に、どこからとも無く二つの声が鼓膜に響いてきた。しかしその姿はどこにもない。

「暇なもんは暇なんだよー」

 しかし、その二つの言葉を切り捨てるように青年は言葉を口にする。

「それじゃあ町まで連れてってよ」
「それは断る」

 にっこりと、満面の笑みで少女が言うと、青年はものの見事に即答した。チッ、と少女は青年の見えないところで小さく舌打ちをする。やっぱり殴ろう。
 冷めた笑顔を浮かべながら青年の後ろに回り、拳を振り上げる。
 ――――刹那。ふわりと冷たい風が吹き抜けた。
 二人の髪や服を揺らして、突如、二人以外誰もいなかったはずのその場所に、一人の姿が現れた。少女よりも若干小さい少年の姿を見て、少女は振り上げていた拳を下ろす。

「ひ」
「はいはいわかったからもういいよ何も言うな」

 青年が三度口を開こうとして、少女の棒読みがそれを遮った。いい加減にしないと本当に殴ってしまいそうだったのだが……まあ、いい。あとで思いっきり殴ってやる。

「レオン、頼める?」
「致し方ない」

 半ば呆れながら、唐突に現れた濃緑色の髪の少年はこくりと頷いて、右手を振り上げた。
 すると、彼の指先に見えざる風が集まりだした。暖かいような冷たいような、表現できない風が、この場にいた全員を優しく包み込んでいく。三人を中心にして丸い円球状になったそれは、唐突に突風にへと変化した。

 風がふわりと広がると、三人の姿はその場からなくなっていた。






「ありがとね、レオン」

 金髪の少女――イクロスは、紅茶の入ったティーカップを傾けて、こくりと一口飲んだ。
 少女たちは目的地である町へとたどり着くつと、すぐに今夜泊まる予定の宿屋を探した。小さい町だからか宿屋は一件しかなく、探すのに手間は掛からなかった。
 チェックインした後あまり多くはない荷物を部屋に置いて、外に出て目の前にある喫茶店に足を運んだ。

「〈風龍ふうりゅう〉は移動手段の為の技では無いのだが……」

 ぼそぼそと愚痴りながらも、濃緑色の髪の少年――レオンは、イクロスの感謝の言葉に頷いた。

「それもこれも、カノンがいけないんだからー。愚痴はカノンに言ってよね?」
「は? 何で俺?」

 紅茶を口に含みながらイクロスは銀髪の青年――カノンに目を向けると、当の本人は自覚無しといった風に首を傾げた。――お前が原因でレオンが怒ってるんだろうがっ!!
 表情の変化に乏しいレオンではあるが、付き合いの長いイクロスから見れば、とても怒っているように見える。表情に出ない分本当に怒らせると怖いので、ぶちギレないことを願いたい。
 はぁ…と小さくため息を吐くと、くすりと少女が笑った。

「仕方ありませんよ。カノンですから」

 小さく呟くと、薄い空色の髪の少女――セーレンが苦笑混じりに呟いた。

「あれはああいう性格だ。あれを矯正しろと言われても無理だろう」

 それに続くように、カノンと同じくらい背の高い濃紺色の髪の青年――ホルンが苦笑した。だよね、とイクロスは同意して微笑を浮かべながら、カップをテーブルに置く。

「俺が言うのも変だが……そうゆう風に創られたんだから、まあ仕方ないな」

 ホルンの台詞に、イクロスは苦虫を噛み潰したような表情をした。それを見てセーレンは微笑む。


 彼ら――カノン、セーレン、レオン、ホルンは人間という部類には属さない。

 魔術師によって創られた想起精霊そうきせいれいと呼ばれる精霊だからだ。
 想起精霊とは、魔術師の“想い”を材料に生み出される精霊である。まるで人間のような容姿をしており、それでいて魔術師のように魔術を扱うことができる。
 さらに、精霊という名がつくとおり、創られた存在でありながら自然の摂理をも司っている。自然界で生まれた精霊とは違うものの、その本質は少しばかり似ている。

 当然、彼らを生みだしたイクロスは魔術師である。
 そんなイクロスも、普通の魔術師とは異なった部分がある。

 それは、全ての属性を操ることができることだ。

 普通、魔術師は二種類の属性しか操ることができないのに対し、イクロスは何故か全部の属性を操ることができる。
 だから、生みだした想起精霊たちも個々の属性を持つ。

 カノンは炎。
 セーレンは水。
 レオンは風。
 ホルンは雷。


 それが何を意味するのか、彼らはまだ何も知らない。

 ――きっと知らない方が、幸せでもあったのだろう……



「ところで、イクロスー。何の為にここに来たんだー?」
「確かに。我々は何も聞いていない」

 カノンの問いかけに、レオンが便乗した。

「どうしてですか?」
「仕事だろ。し・ご・と。それ以外に考えられん」

 セーレンが小首を傾げて、ホルンは一人納得している風だった。目の前に置いてあるティーカップを手にとって一口、中の液体を喉に流し込む。

「うん、ホルンの言うとおりで、仕事の依頼なのよ」

 彼らは世界を旅しながら様々な依頼をこなして生計を立てている。
 旅をするのにも、食事や宿の確保、武器等いろいろとお金がかかってくるのだ。
 その為に、自分に見合った依頼を請け負い、お金を稼ぐ。そっちの世界では少しばかり名が通っているのだが……まだまだ未熟故に依頼をされるのは少なく、自分から探しに行かなくてはいけない。

「その人が言うには、この町の外に出没する魔物を退治してくれって言うんだよ」

 その魔物は夜にしか出現しないらしい。昼間はともかく夜になると町の住民みーんなが震え上がっちゃって。しかもしかも、その魔物がすっごい大きな遠吠えをするっていうもんだから眠れなくて困ってるーって苦情がたっくさんあるんだって。
 その話をしている最中、カノンの瞳が爛々と煌いていた。彼の本能は、云わば戦闘だ。戦いのことになるとすぐに燃え上がる。

「やるのは今夜。みんな準備しておいてね」


 ※


 月が頭上で輝き、その周りを幾つもの星が瞬いていた。
 雲一つ無い空の下で、イクロスたちは“奴”が来るのを待っていた。

「で、何処にいるんだ?」
「うーん、何処だろう……」

 二人の呟きは風に流されていく。
 来たのはいいがその魔物がいない。これでは仕事にならない。

「情報どおりだと……たぶん、この辺りにいるはずなんだけどなぁ……」

 今彼らがいるのは荒野のど真ん中。
 町を挟んで西には草原が、東には荒野が広がっているのだ。なんとも不思議な環境の中であの町がある。
 剥き出しの岩石がゴツゴツとしていて、足場が悪い。足元を気をつけないと転びそうだ。

「んー、いない……――――ッ!?」

 イクロスが声を出した瞬間、唐突に地面が揺らいだ。

「うぉ!?」
「来たな……!」

 二人は戦闘態勢に入る。イクロスは自分と同じくらいの杖を構え、カノンは素手だ。
 想起精霊は魔術をメインに戦う。武器を持つこともできるのだが、それは個々の性格にもよるし、何より、彼らの力で武器を生成することもできるのだ。だから、彼らは武器は持たない。
 魔物がどこから来てもいいように神経を細く研ぎ澄ませていく。
 しかし、その魔物は思いもよらぬ場所から現れた。

「な……っ!!」

 それに逸早く気づいたイクロスは真横に跳ぶ。
 少女の足が地面から離れた瞬間、地鳴りが激しくなった。すると、今までイクロスが立っていた場所に大きな穴が空き、そこから魔物が飛び出してきた。

「ガルルルルゥゥゥ……ッ」

 その姿はまるで虎のよう。赤く細い瞳に細身でありながら筋肉質の黄色い四肢。胴体は赤黒く黒ずんでいて、艶やかな毛並みに月の光が反射する。口元から垣間見える犬歯は鋭く尖っていた。
 その魔物を睨みつけつつ、イクロスの傍から離れてしまったカノンはすぐに彼女の元に走った。

「大丈夫か?」
「あぁ……」

 カノンの言葉に、イクロスは頷いた。
 刹那、二人の前に姿を消していた三人が顕現する。

「お怪我は……?」

 セーレンがイクロスの隣に立ち、それを見届けたカノンは二人を庇うようにさらに前に出る。

「大丈夫だ。……少しばかり油断してしまった」

 心配そうに顔を覗き込んでくるセーレンに、イクロスは微笑みかけた。

「よし、反撃を――――っ」

 イクロスの言葉が途中で遮られた。地面が先程と比にならないぐらい揺れ、全員が体勢を崩す。
 はっと我に返った時には、魔物は既に迫ってきていた。イクロスを守るように四人は防御をしようと魔術を展開し始めるがする。
 間に合わないか――――!?
 眼前にまで魔物が迫り、爪が閃く。カノンが体を張ってその爪を受けようとした瞬間、清廉な水の波動が魔物とカノンの間に生まれた。
 涼やかな波紋が一瞬にして五人を包み込み、そして、魔物は水の壁に阻まれて奇声を上げながら弾き飛ばされた。

「気を抜くなっ。……って言いたい所だけど、まあ、今のは仕方ないから見なかったことにする」

 そう言ってイクロスは立ち上がった。
 彼女を見て、四人は頷く。
 言葉ではなく態度でしめせ。言外に彼女の雰囲気がそういっている。
 ふわり、と役目を終えた水の膜は儚く崩れ去る。
 弾き飛ばされた魔物は素早く体を持ち上げると、甲高い雄叫びを上げて、地面を大きく揺らした。
 突如、低い地鳴りと共に大地から突起が現れた。その突起の大きさはゆうに三十メートルは超すであろう。
 魔物も魔術と似たような術を扱う。それが何なのかは不明だが、彼らと対峙するときはそれにも気をつけなくてはいけない。力技だけでは勝てないのだ。

「おいおい……」
「あれが飛んでくる、のか……?」

 唖然と突起を見つめていた矢先、ホルンの言葉は現実となる。
 地面が揺れ、激しい音と砂塵を巻き上げながら幾つもの突起が五人に襲い掛かろうと駆ける。まるで雪崩のごとく迫ってくるそれに、全員が目を見開いた。

「セーレン! 壁を造っとけ!!」
「はい!」

 ホルンの言葉にセーレンは頷きながら両手を前に向けた。すると、空気中の水分が具現化し、徐々に彼女の手の中に集まっていく。それを持ち上げるように手を振り上げると、それはイクロスとは違った水の壁を生みだした。
 そしてレオンとホルンが同時に手を掲げた。見えざる透明な風と、紫の閃光を走らせた稲妻が二人の手に集約し、襲いかかろうとしていた土の突起を粉砕する。
 粉々にされた突起の破片が四方八方に飛び散り、しかしそれは水の壁が阻んで当たることはなかった。

「全く……危ないな」
「懲らしめるか?」

 ポキポキ、と手を鳴らしながら、ホルンはカノンに問いかけた。
 にやり、とカノンが不気味な笑みを浮かべる。

「そうだな」

 カノンの答えに、ホルンは不敵な笑みを浮かべた。
 それと同時に己の身の内に秘めたる力を解放する。

「――孤高の閃光は誰にも止められぬ速さを生み出す」

 ホルンが詠唱と共に片手を魔物の方に向けた。バチバチッと白い稲妻が腕を走りぬけ、手の平の前で球状に集まっていく。

「〈白雷はくらい〉!」

 ホルンの放った言霊。刹那、白い稲妻が一直線に放たれた。
 音よりも速くそれは魔物に向かっていく。

「ギギギャアアァァァァァアアァッ!!」

 閃光が魔物を襲い、奇声を上げた。
 しかし、狂気を帯びた瞳は変わらず彼らに向けられていて、倒れる気配は無い。

「しぶといな」
「そうでなくちゃ俺が困る」

 ホルンが呆れながら言うと、カノンがキッパリと言い放った。
 そして両腕を振り上げる。赤い風が纏わりつき、ぶわりと熱風に変化する。

「煌きは紅き閃光から光よりいずるべく焔の宴」

 詠唱が言霊に変わり、熱風が炎へと姿を変えた。

「〈焔斬えんざん〉!」

 生暖かい風が周囲に吹き荒れる。カノンの腕から赤黒い炎が現れたと思った瞬間、それは青白く燃え上がった。
 ニヤリ、と意地悪な笑みを浮かべる。

「終わりだ」

 呟きと共に腕を振り下ろし、炎を放つ。それに続くように――加勢するようにホルンが稲妻を放った。


 ギギャアアアアアアアアアァァァァァァアァ――……


 魔物の断末魔が、余韻を残しながら荒野の真ん中で木霊した。



「あー、疲れたー」
「嘘つけ。疲れてないくせに」
「まあまあ。二人ともお疲れ様」

 戻ってきたカノンとホルンを出迎え、イクロスは二人に微笑みかける。

「そのままにしておいたけど、あれはいいのか?」

 と、ホルンが魔物を指を差しながら言った。イクロスは、うんと頷く。

「なんかね、あの魔物の牙がすっごい希少価値が高くてさー。依頼主がそれも採取してきたら報酬アップしてくれる約束なのよー♪」

 そういい残して、るんるんと鼻歌を歌いながら倒れた魔物に向かって走っていく。よくよく見ると、その手には短剣が握られていた。……とる気満々だ。
 魔物の顔付近に腰を下ろしたイクロスは、遠目からでは何をしているのか分からない。まあ、先ほど言った台詞を実行しているのだろう……と思い、四人はイクロスの後ろ姿を見つめていた。

「な、なんていうか……」
「うーん、まあ……」
「……」

 あはは、と三人は頬を引き攣らせて笑う。

「上機嫌すぎて、逆に怖いな」

 三人が言いたいと思っていたことを、口に出すカノン。ギクッ、と三人の表情が一瞬だけ硬くなり、カノンから目を逸らした。

「ん? どうした?」

 頭の後ろで手を組んで首を傾げるカノンをよそに、三人は後ろを向くと、すかさず姿を消した。
 訳が分からずカノンは目を丸くする。

「あ、おい!」
「……ねぇ、カーノーンー……」

 びくっ、と肩が震えた。たらたらと冷や汗が流れていく。
 恐る恐る――まるで後ろに化け物でもいるかの如く――振り返ると、そこには魔物の牙を持ったイクロスが立っていた。ドロドロと背景に暗雲を垂れ込めていそうな雰囲気に、さらに魔物の牙を抜いている時についたのであろう、魔物の血が相まって、さらに恐ろしい雰囲気を放っている。
 カノンは怖気づいて、数歩後ろに下がった。

「ど、どうした、イクロス……?」
「いや、ねぇ……さっきの言葉の意味を聞きたいなーって思ってねぇ」

 ――上機嫌すぎて、逆に怖いな。
 聞こえていたらしい言葉が脳内で木霊する。言ってしまってから気付く。本能が危険信号を発している。

「いや、ほら、あれは、そうだよ、あれなんだよ」
「あれって何かなぁ……ねぇ、ねぇ?」

 ずいずいと詰め寄ってくるイクロス。一歩一歩後ずさっていくカノン。
 それを影ながら――姿を消したとはいっても、そこに存在はしている――見つめる三人。

「う、あ、は……はは……逃げるが勝ちっ!」
「あ、こら待てっ!!」

 最後の手段に出たカノンが足早に駆け去っていく。イクロスははっとして腕を掴もうと手を伸ばすが、間に合わず空を切る。
 ひくり、と頬が引き攣る。

「ふ、私から逃れられると思うなよ……」

 どすの利いた呟きが、月夜の下の荒野に轟いた。

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