薄れてゆく意識の中、ミーシャはラシュウの叫びを聞いていた。
瞼をそっと上げると、龍が歓喜の咆哮を上げているのが目に入った。
――――やばい、逃げないと……。
そう思ってはいるが、動かそうとしても意に反して体は動かない。
瓦礫の下敷きになっているからかもしれない。
『なんと人間は弱きもの……その命、我が主のために』
龍の声が轟いた。
――私……ここで死んじゃうのかな…………。
口から放たれる炎。その迫り来る炎が、何故か遅く感じられた。
ミーシャは無意識に、首に下げた青い石のペンダントをぎゅっと握り締めた。
…………ラシュウ……――――――
刹那、清らかな風が吹きぬけた。
それと同時に、少女の前に人影が降り立つ。
今にも閉じてしまいそうな瞼を必死に持ち上げ、ミーシャはその長身の後姿を見上げた。
……誰?
口を開くが声にならない言葉。ミーシャは、少し風を起こした。
背後から流れた風に気づき、長身の男が肩越しに振り返る。
流れる髪は若草色。服からむき出しの腕では細くもなく太くもなく、筋肉で引き締まっていて、透き通るような絹布を巻いていた。
そして、煌く双眸は、金色。
「大丈夫か?」
発せられた声に、ミーシャは目を丸くした。
――この声は、まさか!
「ラ、ラシュウ!?」
驚きを隠せないミーシャに対して、長身の青年は頷いた。
「え、でも、その姿……」
「……」
ミーシャの問いかけに、ラシュウは戸惑うように顔を背けた。
『――――……そうか、そうか、ホルノス神か!!』
双頭の龍が咆哮を上げた。それは再び<魔声>となって、二人を縛りつける。
「ま、また……っ!?」
「……」
ビシリ、と体が動かなくなるのを感じた。
ラシュウは淡々とした表情で、腕を振り上げる。同時に、体を縛りつけるものがすぅっと消えた。
「俺は、今とっても機嫌が悪いんだ……俺の前から消えるなら、その命は助けてやろう」
『……我に命令をだせるのは、我が主のみ』
ビリビリと感じる凄絶な気に、龍は怖気ずきならも声を発した。
「そうか、分かった」
振り上げた腕を、今度は振り下ろす。
「<
言葉の後に続くように、ラシュウの手から風が放たれた。
竜巻のようなそれは、姿を変化させ、風の竜になった。翼を打ち鳴らして、上から龍の体に突撃していく。
『ぐあァッ!』
「<
龍の体を突き抜けた風の竜が、今度は龍を宙に舞い上げた。そのまま龍は天井に激突する。
『アアァァァ!』
「<
龍に手を向けて、再び風が放たれる。竜と化した風は、宙に舞っている龍めがけて突進した。
神速の速さで風の竜が双頭の龍の体を突き抜け、龍の巨体から血飛沫が舞った。
『グァアアァァァァ……ッ』
ごぼりと血を吐く右の頭。左の頭は、ぐわりと口を開けて、炎を吐いた。
「足掻くな。楽に死なせてやる……<降竜>!」
にっと笑ってラシュウは炎に向かって手を向けて、風を放った。竜の姿になった風は炎を粉砕し、驚愕している龍へ、体当たりした。
そして、その技の名の如く、風の竜は双頭の龍をつかみながら、地面に落ちていく。風の竜が地面に到達するとぶわりと霧散し、龍が落ちた衝撃で地面が揺れた。
「…………」
動かなくなった龍の姿を見て、ラシュウはほっと息を吐く。
「……ラシュウ」
呟きにも近い声に呼ばれ、青年は肩をびくつかせた。ゆっくりと、顔を少女の方へ向ける。
「ラシュウ、なんだよね?」
「……あぁ」
「あの龍が言った言葉、どういう意味? それに、その姿……」
戸惑いを隠せないミーシャの表情に、ラシュウは目を背けたくなった。
背いて、口を閉ざせば、何も聞かれることは無い。関ることもない。
「……それより、まずはここから出るのが先だ」
「またそうやって話をそらすっ!」
ミーシャは叫んだ。ただ、無我夢中で叫んでいた。
ラシュウはその場に縛りつけられたかのように動けなくなる。
「そうやって、そうやって……ラシュウは、ずるいよ……」
瞳から涙が溢れてきた。瓦礫の中でうずくまる少女を、ただ呆然と見つめることしか出来ない青年。
沈黙が、長い間その場を包み込んだ。
どのくらい長い時間が過ぎただろう。
ラシュウが静かに瞳を閉じた、その時――
「……っ!?」
――――遠くで、ずーんと何かが落ちる音が轟いた。同時に地面が、天井が揺れ動いた。
「……まさか、さっきの戦いで……っ!?」
この神殿内は無数の柱によって支えられていたのだろう。
それが、先ほどの双頭の竜との戦いで、幾数もの柱を壊した。柱が無くなれば、無論、この場所は崩れるに決まっている。
天井から小石がぱらぱらと降ってきた。ここは直に崩れるだろう。
「ミーシャ!」
へたりこんでいる少女の名を叫ぶ。が、少女はぴくりとも反応しない。
「おい、ミーシャ!?」
手を伸ばし、ミーシャの腕を掴もうとして、その手を少女は払った。
「どうして!? どうして何も教えてくれないのっ!」
彼女の発した言葉に、ラシュウは険しい顔になる。
「そんな事言っている場合か! 早くここから」
「教えてくれるまで、私はここから動かないからっ!!」
その言葉に、ラシュウは固まった。依然として彼女の瞳からは涙が溢れているが、その瞳は、揺るぎないものだった。
その瞳を真っ向から見て、そして、口を開く。
「……分かった。話すから、まずはここから出よう」
「約束してくれる?」
「…………あぁ」
ほっと安堵して胸をなでおろすミーシャ。目を瞑り、そして、まるで糸が切れた人形のように倒れた。
地面に倒れこむ寸前、ラシュウの腕が彼女の体を支えた。
「まったく……無茶な奴」
くすりと微笑して、ラシュウはミーシャを抱きかかえる。
そして、左腕を天井に、裂け目に向けた。
「<昇竜>」
※
空中を漂っていた風神は、ふと、風の流れが変わったのを感じた。
同時に、竜の姿をした風が真っ直ぐ天に向かって翔け昇っていく。
「……心を、決めたか」
人の姿をした神は、けぶるように鳥へと姿を変えて、あの場所へと向かった。