背中合わせの不安と疑惑 2

 ファルアの大森林を抜けたミーシャとラシュウは、直ぐに辿り着くことができたコハの町で宿をとり、一息ついていた。
「蒸発するかと思った……」
 大森林の中は、木々が覆い茂っているからか、ねっとりとした暑苦しい風が肌を撫で上げて、汗がだらだらと止まらなかった。
 それがここに来てからは、逆に寒いと感じてしまうぐらい心地の良い風にあたることができた。
 そんなミーシャとは打って変わって、ラシュウはけろりとした表情だ。
「それにしてもさー、すごい古い感じだよね、この町」
 窓から身を乗り出すようにして外の風景を眺めていたミーシャは、そのまま格子に腰掛けた。
「結構歴史があるのかな?」
「そりゃあ、あるだろう。……この町だけじゃなく、この大陸、この世界には……」
 ラシュウの声音に、ファルアの大森林に入る前の違和感を再び感じた。
 近づいてきた気配に、そちらへ顔を向ける。
 いつになく感情の読みとれない表情のラシュウは、ちょうど空いているミーシャの隣のスペースに座り、空に視線を投じた。
 太陽は段々と西へ沈みはじめていて、オレンジ色が滲み出していた。
「――――その昔、まだこの世界が〈世界〉として確立していない〈無〉だったころ……」
 前触れもなく、ラシュウは唐突に喋りはじめた。
「この世界には二柱の神がいた」
 知っているだろう、と問われてミーシャは頷く。
「メヴィース神とホルノス神でしょ?」
 それは、この〈世界〉を創ったと云われている二柱の神の名前。
「そうだ。メヴィース神は炎と土を、ホルノス神は風と水を司っていた」
 ラシュウが語り始めたのは、里でも何回か聞いたことのある世界創世の話。
 二柱の神はそれぞれの持つ力で――メヴィース神は大地と自然を、ホルノス神は空と海を創った。
 現在は幾つもの大陸に別れているが、その時はまだ大きな一つの大陸だったという。
「次に二柱は生き物を創りだした」
 獣、魚、鳥、人間、魔物、精霊……多くの生命を生み出していった。
 そして、彼らは在るべき場所へと自らの力で住処を作り、暮らし始めた。
 その様を見届けた二柱は、自分の住まう湖へと戻り、一時の眠りについたのだ。休まずに力を使い続けることは、例え神であろうとも疲労が溜まるもので、眠りは相当に深く、長いものだった。

 ――そして、幾年もの月日が流れたある日、その眠りが妨げられる。

「不安、焦燥……負の感情にあてられて、二柱は目覚めた」
 久々の世界に、何故だか違和感を拭えない。慌てて世界を巡ると、目の前に広がった光景に愕然とした。
 木々は炎に巻かれ、大地は火の海と化し、空は暗雲を垂れ込めて、海は荒れていた。
 その中獣たちが逃げ惑い、しかし人間たちは争っていた。
 彼らの争う理由……それは唯一つ。
 “権力争い”だった。
 二柱が眠りについた時は誰しもがお互いのことを考え、協力して日々を過ごしていた。
 それがいつから変わってしまったのだろう……人間は、力を弄ぶようになった。
 智慧を持ち、武力を持つ人間は、その力に酔いしれて誰もが上へ上へ立とうとして、血を流し屍を積み上げた。
 その争いは、後々にこう語り継がれている。
「〈空の世界大戦セウベルトウォー〉と」
 無表情のままだったラシュウの瞳の奥に、昏い炎が宿る。ゆらゆらとどこか哀しみに満ちているそれに、ミーシャは気付くことはできなかった。
 里にいた頃に、何回も聞いたことのある話だった。
 それなのに何故だろう。彼の口から伝えられるその話は、今まで聞いてきた話とは違うもののように感じられた。
「二柱は嘆いた。争いを生む為に生き物を創ったのではないのに、と」
 そして、決断する。
 同じ場所にいるから争いを生み出してしまうのだ。ならば、分断させよう。
 神の力で、大陸は五つに分かれて、人間たちもそれぞれの大陸に別たれた。さらに大陸は派生していき、小さな島々が生まれていく。
「その後、二柱は荒れ果てた世界に自然を再生させた」
 幾年もの時をかけて、気や草花は命を灯す。
 自然が元の姿に戻ると、大地を獣が駆け回るようになった。海には優雅に魚が泳ぎ、空は青さを澄み渡らせて鳥が羽ばたいた。
 そして、二柱は悩んだ。
 誰にでも平等に平和を願っていても、生き物は優劣をつけたがる。
 今回のことは一度きりで終わるとは思えなかったのだ。再び、争いが起こってしまったら……一体、どうするべきか。
 悩みぬいた末に出された結論は、ある民に二つの力を残すことだった。
 一つはメヴィースの持つ、突出した〈武〉の力。
 もう一つはホルノスの持つ、突出した〈智〉の力。
 それは、これから争いを生まないようにと願ったもの。
 在り過ぎる力というものは、己の身を破滅に向かわせるだけだが、二柱にはこれしか方法が思い浮かばなかったのだ。
 そして幸か不幸か……年月を重ねていくごとに、力を授けられた民はその意味を理解していく。
「〈武〉を司る民はリザルト族、〈智〉を司る民はクワイト族」
 初めて聞いた事実に、ミーシャは驚いた。
「え? 確かリザルト族って魔法を操るんでしょう? なんで〈武〉を司っているの?」
 彼女の問いかけに、ラシュウは「そうだなぁ」と顎に手を添えた。
 確かに、彼女の言うことも一理あるのだ。リザルト族は魔法技術が他よりも抜きん出ていることは、世界的に有名だ。
 ……でも。
「魔法が使えるからといって〈智〉を司っているわけじゃない」
 奴らは確かに〈武〉を司る民だ。根本で戦いを好む性質の彼らは、ある種の戦闘狂に近い。
「そして、再び二柱は湖の底に眠りについた」
 今度こそ、争いが起きないようにと願いながら。
 もしも、再び二柱が目覚めることがあるとしたら、その時は〈空の第二次世界大戦セカンド・セウベルトウォー〉が勃発してしまうのだろう。
「…………とまぁ、昔の歴史はこんなもんだな。どうだ、少しは勉強になっただろ」
「うーん、まあ、それなりに」
「それなりに、だと……?」
 ミーシャの返答が気に食わなかったのか、ラシュウはため息を吐いた。
「はぁ……折角話してやったというのに……馬鹿女が」
「んなっ! 馬鹿女ってなによ! 馬鹿じゃないもん!」
「いかにもその反応が馬鹿っぽいけどな」
 ぷくっと頬を膨らませると、ラシュウはにやりと笑ってそう言った。
 なんだかバツが悪い。
「……そういえばさ」
 居た堪れない気持ちになっていたが、ふとある疑問が浮かんできた。
「ん、今度はなんだ」
「風の民は、何にも司ってないの?」
 〈武〉の力と〈智〉の力。二つの民が持つモノ。
 では、風の民は? 風を操る力を持つ我が民は、一体なんなのだろうか。
「……そうとも言えるし、違うとも言える」
「ん、どういうことよ?」
「〈武〉と〈智〉は人間が生きるのに必要。〈風〉は世界が生きるのに必要ってことだ」
 …………意味が分からない。
 彼の言い回しは難しすぎる。できればもっと分かりやすく説明して欲しいものだ。
 内心そう思っていると、たぶん表情に出てしまっていたのだろう、ラシュウは呆れたように(実際呆れているようだが)息を吐き出した。
「風の民は世界の〈風〉を操る役目がある。風が無ければ船は進まんし、草花の種子も飛ばん」
「種は鳥が運ぶんじゃないの?」
「アホか。鳥はどうやって空を飛ぶ? 風に乗ってるんだろうが」
「な、なるほ、ど……」
(……理解しきれてなさそうだな)
 一人で百面相をしているミーシャを横目で見つつ、何だかなぁとため息を吐きたくなった。
「風の民以外にも、火、水、土の民がいるのは知ってるよな?」
「うん、名前は知ってる」
 風の民が風を操るように、それぞれ火、水、土を操る民が存在する。
 だが、実際に他の民に会うことは滅多に無い。いや、ほぼ無いというべきか。
 民は常に自分たちの暮らす里から外へは出ない。ミーシャのような例外も少なからずあるが、それはほんの一握りだ。
「火を絶やしても水が濁っても生き物は生きていけず、土が穢れてしまえば草木は育たず、世界は無くなってしまうだろう」
 自然世界の秩序を見守り、支え続けていくのが、自然の力を操る術を持つことの許された民の役目。
「世界は一つじゃ回れねえんだよ。二つ、三つ、いろんなのが重なり合ってできあがっていくんだ」
「……よく分かんない」  正直に呟いたミーシャの表情は、どこか困惑していた。
 まあ、仕方ないだろうな。こんな話されて理解できる奴なんているのだろうか。俺もちゃんと理解はしきれていないのに……こんな訓戒みたいなこと。
「分かんなくていいさ。難しいからな」
「……さり気なく馬鹿にしてるでしょ」
「さり気なく? 俺は正直に言っただけだが」
 そういうのは内心に留めとくもんだよ!
 ミーシャはむっと彼を睨みつけた。
「ところで、飯はいいのか?」 「え? ……あーっ! もうこんな時間!?」
 唐突に話を変えた彼に、しかし窓の外を見れば、茜色の空はいつの間にか徐々に濃色へと変化をし始めていた。
 そろそろ晩御飯の時間だと悟ったミーシャは慌てて身支度を整える。
 窓の格子から腰を下ろすと、ラシュウに振り返った。
「んじゃ、ちょっとご飯食べてくるー」
「おう」
 基本的に、精霊は食べなくても生きている。人間とは造りの違う存在だからだろうか?
 それでも、食物を受け入れないわけではないので、時々一緒に食事をしたりもするのだが。
 精霊は云わば、超自然的な存在である。自然から溢れてくるエネルギーを取り込むことが、人間でいう食事に近いらしい(と、前にラシュウに聞いた)。
 ぱたん、と扉の閉まる音。
 ミーシャを見送ったラシュウは、そのまま窓の外へと飛び出した。ふわり、と宿の屋根に足を下ろすと、おもむろに睨み上げる。
「風神、いるんだろ?」
『――――なんだ、気付いていたのか?』
 ぶわり、とラシュウの眼前で風が巻き起こった瞬間、翡翠色の巨鳥が姿を現した。
 何度か翼を羽ばたかせて隣に降り立つのを見届けると、ラシュウは口を開く。
「俺に何か用か? 何故ついてきた」
 実は、彼女が追ってきていたことに気付かなかったわけではない。船の上でも、森の中でも、僅かに彼女の気配を感じていた。
「別に用は無いよ。ただの気まぐれさね」
 巨鳥――風神のエメラルドの瞳が、僅かに細められる。
 何かを探るような視線に、しかしラシュウは気付かず遠くを見ていた。
「……お主が、何を考えとるかは知らんよ」
 唐突に話し始めた彼女の言葉に含むものがあったのを感じて、ラシュウはぴくりと肩を震わせた。
 それを風神は一瞥したが、見ていない振りをして言葉を続ける。
「知られたくない気持ちも分かるが、いつかは知られてしまうよ」
「……」
 その言葉が耳に入り、脳へと到達した瞬間、周囲の音が掻き消えた。
 それに伴って、世界が一変する。


 ――それは、いつかの日の会話。

『いつかまた、あたしとお前は目を覚ましてしまうんだろうな』
 金色の瞳を何処か遠くに向けながら、彼女はそう呟いた。
 俺はそれに対してどう返答していいものか悩むものの、口を開いた。
『……そしたら、どうなる?』
 聞いても、きっと回答はでないい。
『さてね。そんなのあたしに分かるわけないだろ』
『…………』
 何も言えなくなってしまった俺を、彼女の瞳が直視する。

『……破滅の道を作り出すのはあたしらじゃない。起こるべくして起きてしまうことを、変えることなんてできないんだよ』


「我は流れを変えるなんてことできぬし、しようとも思わぬ」
 音が、世界が、戻ってくる。
 のろのろと視線を上げれば、巨鳥のやけに真摯な瞳とぶつかった。
「でもな、お主を助けたいとおも」
「黙れ」
 ラシュウは憤然とした声音で、風神の言葉を遮った。
 今にも食って掛かりそうな雰囲気のラシュウに、風神は苦笑を浮かべるしかない。
「………………お節介な、風め」
 毒づいた言葉に、先ほどのような怒りは微塵も感じない。それどころか、少し悲しげに聞こえたのは、気のせいだろうか。
「お節介ではないよ、我は。気まぐれなだけさ」
 その時、下の部屋からミーシャの声が響いた。
 お互い顔を見合って、笑みを浮かべる。
「……呼んでおるのう」
「そのようだ」
 ばさり、と翼を広げた風神は重さを感じさせない動作で宙に浮かび上がる。
「ではな。暇になったらまた来るよ」
「来なくていい」
「つれないねぇ……」
 落胆の色を見せながらも、急上昇していった巨鳥の姿は風の中へと姿を消した。
 それを見送ったラシュウは、一度深呼吸した後、何事も無かったように屋根を降りて部屋に入っていった。

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