アダルベルトが飛獣を喚び出したという話は、一日で飛獣騎兵部隊の中を駆け巡った。
ラウラを連れて歩けば、あちらこちらから好奇の目を向けられて、気力がどんどん削がれていく。
どこかの部屋に避難しようか悩んでいた矢先、アダルベルトとラウラの前にブロニスが現れた。
「よう、アダルベルト!」
久しぶりに彼の顔を見た気がする。
〈
「ブロニス?」
……なんだか彼の顔がニヤニヤしているのは気のせいだろうか。
「一躍有名人だなお前!」
あぁ、やはりそうか。彼はこういう噂話が大好きな奴だ。
……たとえ、その渦中にいるのが知り合いだったとしても。
「よしてくれ、こっちはうんざりしてるんだ」
辟易しているアダルベルトに、ブロニスは笑いながら彼の肩をバンバンと叩く。
「こればかりは仕方ない。なんせ、〈霄の契り〉でもないのに喚んじまったんだからなぁ」
それは、アダルベルトも何度も考え、悩んだことだ。結局悩み続けることが馬鹿らしくなり、考えることは放棄したが。
「……アダルベルト」
その時、傍らから呼びかけられた。
そういえば彼女のことをすっかり忘れていた。ブロニスも彼女の存在に今気付いたらしい。
「へえ、このお嬢ちゃんが噂の飛獣か」
好奇心を隠し切れていない彼の不躾な視線に、ラウラは少し居心地が悪いのか、アダルベルトの服の裾を掴んだ。それを見て、彼女を安心させるようにその小さい頭をなでる。
「彼女が飛獣のラウラだ。ラウラ、こいつはブロニス。俺と同期で、もしかすると飛獣騎兵になる予定の奴」
ブロニスは満面の笑みを浮かべた。
「初めまして、お嬢ちゃん。ブロニス・アーツァだ。よろしくな」
「ラウラ・ロワ・ツヴァイ・フォーゲラオルです。よろしくお願いします」
「なっげー名前だな。なんか仰々しいぞ!」
そう言うと、ブロニスはラウラの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。突然のことに慌てて彼女が手で押さえにかかるも、その小さな手で頭を守るのは無謀なことであった。
しばらくふたりの攻防が続いたが、結局、ラウラはブロニスにされるがままになっていた。
「……そういえば、アーツァ殿の飛獣は?」
ふと疑問に思ったことなのだろう、ラウラは頭をなでくり回しているブロニスを見上げた。
「堅っ苦しいなぁ、嬢ちゃん。俺のことはブロニスでいいぞ」
話題が変わったからか、それとも満足したからか、そこでブロニスは手を離した。
「俺はまだ〈霄の契り〉をしてないからなぁ」
アダルベルトもだけど、と彼は小さく付け足す。それには苦笑するしかない。
「本当は、飛獣を喚び出すのには手順があるんだ。俺はその手順をすっ飛ばしたが……部隊長も言っていただろう?」
「…………実は、ちゃんと聞いていませんでした」
えへへ、と彼女は誤魔化すように笑った。
「こちらの世界に来るのは初めてで。話には聞いたことがあったんですけれど……ちょっと、ビックリしてたんです」
だからか。青い扉の部屋を出た後から、妙にそわそわして周りを見ていたのは。
掻い摘んで部隊長の話を説明すると、彼女は小声でお礼を言った。
「飛獣たちは、こちらのことを知っているのか?」
「そうですね。最初にこちらへ喚ばれた飛獣が説明してくださいましたから」
「……最初に喚ばれた飛獣?」
ええ、と彼女は頷く。
ずっと昔のこと。最初の飛獣はあるひとりの兵士に喚び出されたらしい。なんでも、彼が言うには青い石――今で言う
そして、そこで兵士は翼を持つ獣、飛獣と出会った。
「その時におふたりは出会ったそうです」
飛獣は知性を持ち、人よりも遥かに強い力を持っていた。
「色々とあったようですが、飛獣は兵士の世界へ行き、手助けをしました」
それから数十年が過ぎたある日。老人となった兵士は息を引き取った。それを見届けた飛獣は悲しげな鳴き声を上げると、空へ舞い上がった。
――そして、飛獣の姿はこの世界から消えてしまった。
「……相棒の人間が死んだら、飛獣は元の世界へ戻るんです。だから、その時に」
「なるほどなぁ……」
飛獣からしたら人間の一生など瞬く間だろう。その飛獣は、今も飛獣たちの棲む世界の空を飛んでいるのだろうか。
「おーい、俺も話しに混ぜてくれ!」
すっかり聞き役に徹していたブロニスが声を上げた。忘れていたわけではないのだが、ついついラウラと話し込んでしまった。
「ああ、悪い」
「まったく……まあ、そんなわけで俺にはまだ飛獣がいないわけだ」
「無事に喚び出せるといいですね」
そうだなぁ、と彼は曖昧に頷く。ちらりとラウラを見、アダルベルトに向き直る。
「お前どうやったんだよ?」
――どう、と言われても。
ブロニスはそれを聞くために会いに来たのだろう。彼の問いかけに、しかしアダルベルトはその答えを持ち合わせていなかった。
「……喚び出すって言っても、俺はラウラの名前を呼んだだけだったがなぁ」
そう、名前を呼んだだけである。
喚び出すための呪文を唱えたり、最悪の場合、飛獣との戦闘も考えていたくらいだ。
それがこうもあっさりと喚び出せてしまい、本当にこれで大丈夫だったのだろうかと心配になってくる。
「名前なぁ………………あ」
彼は中途半端に言葉を途切れさせた。どうしたのかと怪訝に思って彼を見ると、どうやらアダルベルトの後ろで何かを見つけたようだ。
それから間を置かずして、背後から足音が聞こえてきた。こちらに近づいてくるバタバタとした音。
「ここにいたのか」
その声はここ最近よく聞くものだった。
振り返ると、そこにはティーモが息を整えながら立っていた。どうやらここまで走ってきたらしい。
「あー……悪い」
「悪いと思うならばうろうろするな」
眉を少しつり上げているティーモが苛立たしげに声を荒げる。頭をがしがしとかきながらブロニスは謝った。
「わりぃな。もう少し喋ってたいんだが、呼ばれてるんだ」
呼ばれている、という言葉にぴんときた。
「……もしかして、今から〈霄の契り〉か?」
おう、と彼は肯定する。
アダルベルト自身はやらなかったこと。どんな風にやるのか気になるところだが。
「まあ、お前なら大丈夫だろうよ」
「……これから頑張ろうとしてる友人に激励とかないのかよ」
むすっとした表情で言うブロニスに、アダルベルトは苦笑する。不安を感じているのだろうが、彼なら大丈夫だと思えた。
「はいはい、がんばれがんばれ」
適当に言えば、彼はがっくりと肩を落とした。
「ひでぇ……」
とぼとぼと歩きだしたブロニスの後を、ティーモがついていく。一言、二言何かを話しているようだが、ここまでその話し声は聞こえてこなかった。
□ ■ □
それから数日が経ったある日のこと。
訓練場でラウラと共にいた時のことだった。
「あんなのがセウスベルグの飛獣だと?」
遠くから聞こえてきた侮蔑の言葉に、アダルベルトは反射的に顔を上げた。
声のした方へ視線を向ければ、そこには男が立っていた。飛獣騎兵部隊のひとりだ。ここへ来てから何度か顔を合わせたことはあるが……その度に無視されるか、今のように侮蔑の言葉を吐かれた。
というのも、彼には相棒たる飛獣の存在はいないからだ。――彼は、飛獣を喚び出すことができなかった。
彼のように飛獣を喚び出せなかった者も、少なからずいる。喚び出せなかった者は、飛獣騎兵部隊から元の部隊へ戻されることが多いが、通信班などの補助を専門とする部隊へ配属されることもある。
そして、彼らの中には飛獣を喚び出せなかったことに劣等感を抱いている者も少なくない。
そんな彼らに疎まれているのだと知ったのは、ラウラを喚び出してからすぐのことだ。戦闘隊からは好意的に迎えられたものの、それ以外のところでは半々……といったところか。
こちらが見ていると分かっていても彼は睨みつけることをやめなかった。
しばらくして、男はひとつ舌打ちをすると踵を返して去っていった。
「……」
――……ああいう行動に、苛立ちを感じないわけではない。ただ、それよりも虚しさと、たまらない哀しみを感じる。
ため息を吐きたくなって、そのまま飲み込んだ。
「……ラウラ?」
ふと、傍らに立つ彼女のことが気になって声をかけた。
ラウラは、既に立ち去った男がいた場所を、静かに眺めていた。
「…………行きましょう、アダルベルト」
何の感情の色も浮かんでいない――むしろ、抑え込んでいるのではないかと思うような固い声で、彼女はそう言った。
「……そうだな」
いつまでもここにいる理由はない。
アダルベルトはラウラの手を取って歩きだした。早歩き気味になってしまったのは、仕方ないだろう。ラウラも遅れずについてきてくれている。
どこへ行こうとも好奇の目で見られるので、仕方なくふたりは部屋に戻る。ぱたん、と扉を閉めれば、ほっとして安堵の息を吐き出した。
「ラウラ、ちょっとこっちにおいで」
アダルベルトはラウラを招き、椅子に座らせた。自分はその前に膝を突き、彼女の顔を見上げる。
ここにくるまで、ずっと気になっていた。
「どうした?」
ラウラは、痛みを堪えているような、そんな表情をしていた。
「ラウラ?」
堅く口を噤んだ少女にアダルベルトは困惑を隠しきれない。どうして彼女がそんな表情を浮かべているのか、分からないからだ。
「どうしたんだ、ラウラ?」
二度目の問いかけ。
それでも彼女は口を開くことはなく、こちらを見ていたはずの視線さえも逸らされてしまった。
「ラウラ?」
三度目の問いかけで、やっとラウラは口を開けた。
「……なんでもないんです」
絞り出すように言われた台詞は、どこか苦しそうだった。
「なんでもないわけが、ないだろう」
――そんな表情をして。
喉に何かが詰まったように苦しくなる。アダルベルトは、彼女の両手を自分の手で包み込んだ。小さくて、ほにゃっとやわらかい手。
守りたいと、心の底から思う。
おずおずと視線を戻したラウラは二、三度口をぱくぱくと動かして、小さく吐息を漏らした。
「……ごめんなさい」
ともすれば聞き逃してしまいそうなほど、か細い謝罪が彼女の口からこぼれた。
「どうして謝るんだ」
「…………私が」
ぱちり、と彼女が瞬きをした瞬間、瞳が揺らいだ。
「私が、あなたに迷惑を……」
その言葉で、ようやく彼女がこんなにも頑なになっている理由が分かった。
彼女は自分を責めているのだ。
飛獣である彼女に蔑みの言葉をかける者はいない。だが、隣に立つアダルベルトにかけられる悪意ある言葉に、まるで自分に向けられて言われた言葉のように、感じ取っている。
「……はぁ」
アダルベルトがため息を吐くと、彼女はびくりと肩を揺らした。
怒られるとでも思っているのだろうか。――そんなこと、するわけがないのに。
ゆっくりと彼女に近づき、その小さな体を――抱き寄せた。
「ア、ダルベルト……!?」
「ごめんな」
驚きに固まる少女の背中を優しくなでる。
「お前は何にも悪くないのにな」
こんな小さな体で、どれだけの我慢をしてきたのだろうか。……させてしまっていたのだろうか。
「い、いいえ! いいえ!」
彼女は否定するように、同じ言葉を何度も繰り返した。
「私は見た目も周りと比べて小さいですし、余計に……侮られてしまう、のです」
語尾がどんどん小さくなっていき、最後は聞き取れないほどのささやきになった。
「それは……関係ないだろう」
ラウラの固まっていた体から力が抜けていく。少し身じろいだ後、ぎゅっと服を掴まれた。
「あります。だって、聞こえてましたから」
「……それは」
まさか、そんな。
アダルベルトは気付かなかったが、知らないところで、ラウラにも侮蔑の言葉が向けられていたのか。
「…………なあ、ラウラ。俺は、お前を喚び出すことができて良かったよ」
彼女に言い聞かせるように、強く言葉を紡ぐ。
「周りに何て言われても俺は気にしない。だから、ラウラも気にするなよ」
「……それは」
無理、かな。泣きそうな声で、彼女はささやいた。
「うん。ラウラは素直だからな……でも、気にする必要なんてないんだ。ラウラが疲れっちまうだろ」
「…………」
体を離して、彼女と顔を合わせる。涙が出てしまいそうになるのを耐えているのだろう、ぎゅっと唇を噛みしめていた。
そんな彼女の頬に、優しく手を添える。
「俺はラウラが悲しい顔をするのは嫌だなぁ」
「……私も、アダルベルトが悲しい顔をしているのは、嫌です」
「なら、笑ってくれよ」
そう言って、困ったような表情をしながら、口を笑みの形に作った。
「俺はラウラの笑顔が大好きだよ」
「…………ふふ」
ラウラが小さく吹き出した。いきなりのことに、アダルベルトは首を傾げる。
「なんだか、口説き文句みたいですね」
「くどっ……!」
ぼん、と火が出たかのように顔が熱くなる。真っ赤になっているはずだ、と頭の片隅で思いながら全力で顔を逸らした。
「ふふふ……アダルベルト、真っ赤になって可愛いですね」
顔を見なくても分かる。ラウラは、すごく良い笑顔を浮かべていることだろう。彼女の声色から、それを感じ取ることができる。
「……言わないでくれ」
恥ずかしくて穴があったら入りたい。
それからしばらくの間、ラウラの茶化す声に顔の赤らみが落ち着くことはなかった。