「父さんは私に封印を施して……亡くなった」
何となく覚えているのは男たちに蹴り飛ばされ、殴りつけられ、それから……父さんの怒った表情。
あの時、意識を飛ばしてからその後の記憶は無い。
気がついたらトウカの家にいて、ベッドに寝ていて。
そして……父さんは亡くなったと聞いた。
「あれ以来、門は築かれることはなく、全体を覆うように大きな魔術を施して、里を隠した」
“はぐれ”魔術師は三人とも死んで、誰が彼らを刺客として送ったのかはわからない。
けれど、何年経っても次なる刺客が送られてくることは無く。
いつしか、これは過去のものへと塗り替えられていった。
「封印って……あの冠のことか?」
カノンが渋るように問いかけると、ううんとイクロスは首を横に振った。
「あの〈封印の冠〉もそうだけど……」
とん、とイクロスは自分の左胸を軽く叩いた。
「私の心臓に、その封印の枷がある」
アラスが死ぬ間際に施した封印の術。
ちょうど術を展開した時、トウカが現れたらしい。愕然とした表情の彼を一瞥したアラスは苦笑を浮かべ、ただ一言、「イクロスのことを頼む」と言ったらしい。
それ以外のことを、トウカは何も教えてくれなかった。
視界が滲んでいくのを感じながら、イクロスは自嘲の笑みを浮かべた。
「父さんは私なんかの為に死んで……私は、生きていて何の意味があるんだろう……」
「おまえっ!?」
自分を貶める言葉を吐いたイクロスに、カノンは怒りの表情で彼女の胸倉を掴んだ。
「だって!」
パシッ、と彼の手を叩き落し、頭上にある顔を睨み上げる。
「だって、そうでしょう!? 私なんかいなければ、父さんは死ななかった!」
私があの門にいなければ父さんが来ることはなかった。
私がいなければ父さんは封印の術を使うこともなかった。
私が、私が生まれてこなければ、父さんが死ぬことはなかった!
「“異形”って呼ばれるのには慣れてたよ」
集落では誰しもがイクロスのことを“異形”と呼び、畏怖した。
それが当たり前のことなんだと、当時はそう思っていた。
「でも……やっぱり辛かったっ。父さんが、いてくれたから、生きてこれた」
“異形”と呼ばれるたびに、私は人ではないのだと言われている気がした。
畏怖の視線を向けられるたびに、私はここにいてはいけないのだと言われている気がした。
それでも、父さんがいてくれたから、優しい瞳で一緒にいてくれたから、ここにいていいのだと思っていたのに。
あの日の出来事は、今もまだイクロスの心を締めつける。
「……っいやになった」
すべてが、いきることが……いやになった。
見上げていた朱色の視線から逃れるように顔を俯かせる。
朱色のその瞳はとても眩しくて、羨ましくて、どうしても億劫になってしまう。
苦虫を噛み潰したかのように、カノンは表情を歪ませた。
自分ではどうしようもできないのか。
この幼く小さな主は、課せられた物の大きさに今にも押しつぶされそうになっているというのに。
「……イクロス様」
ふと、カノンの背後に立っていたセーレンが口を開いた。
「生きることが嫌になったのなら……どうして、今まで生きてきたのですか?」
それはとても簡単に見えて、難しい質問。
イクロスはのろのろと顔を上げて、カノンの後ろにいるセーレンへと視線を向けた。
彼女は無表情のまま、強く唇を噛みしめていた。
「嫌になったのなら……どう、してっ……私たちを……生みだしたのですか……っ!」
彼女の言葉に、どうしてか胸が痛んだ気がした。
そうだ。どうして私は皆を生み出したのだろう。
生きることに嫌ならば、彼らを生み出さず、死んでいくべきだったのではないのだろうか。
心の奥底に沈めたものが、ドクドクと脈動する。
「私は……私は、生まれて、よかったです」
どんなに辛いことがあっても、小さな主と一緒にいられることがとても嬉しかった。
どんなに苦しいことがあっても、幼い主と共に歩むことができることが誇らしかった。
ほろり、とセーレンの目の端から涙が零れ、頬を伝い落ちる。
「俺も生まれてよかったよ」
一歩、ホルンは前に出た。
「他の誰でもない、お前の所に生まれてよかった」
本格的に泣き始めたセーレンを宥めながら、ホルンはにっこりと笑みを浮かべる。
視線を彼に移したイクロスは「何故」と小さく呟いた。
その呟きが聞こえたのだろうホルンは、困ったように頬をかいた。そして、何故か恥ずかしそうに頬を赤く染める。
「いや、まぁ……一言で言うなら…………惚れたからかなぁ」
「……は?」
素っ頓狂な答えに、思わず声を上げたのはイクロスではなくカノンだった。
「そんな目で見るなよ」
「いや、だってお前……初めて聞いたぞ」
「そりゃ初めて言ったからな」
しれっと何でもないように言うホルンだが、周りからしてみれば驚愕の事実で。
傍らに佇むレオンは目を大きく見開いていて、泣いていたセーレンでさえも驚いて涙が引っ込んでしまったぐらいだ。
そんな周囲の反応に、ホルンも驚く。
「そういう反応されると……俺、どうすればいいんだ」
「……この際その話は置いておけ」
溜息を吐いたレオンがそう言うと、ホルンは「そうだな」と頷く。
「で、だな。俺は生まれてよかったと思っている。たとえそれがどんな理由であってもだ」
――勿論、セーレンも、レオンも、そしてカノンもだ。
ホルンの改まった口調に、イクロスはほぐれていた緊張が再び体を締めつけるのを感じた。
上げていた視線を下ろしそうになって、でも下ろしてはいけないほど惹きつけられる瞳が真摯に向けられている。
「なあ、イクロス」
諭すかのような、優しい声音。
「お前は俺たちといて……楽しいか?」
率直な質問。
「…………うん」
楽しい。そんなこと当たり前だ。
集落にいた頃より今の方が、何倍も楽しいと感じている。
集落ではこんなに喋ることは無かった。話しかけてくる人もいなかった。
唯一、トウカは何でもないように接してくれて、それがとても嬉しかった。父がいなくなってから、依存しているのではないかというぐらい、彼とは一緒にいた気がする。
離れなくてはいけないと思いつつ、彼のひねくれた優しさがとても心地良かったから……離れようと思っても離れられなかった。
そのことを相談した時の彼の形相は、今でも忘れられない記憶だ。
それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、今はとても楽しい。
「なら、俺たちと一緒にいるのはいやか?」
「そんなこと! ……そんなこと、ない」
喰らいつくように反射的に声を荒げたイクロスは、慌てて声のトーンを落とした。
何でこんなに苛ついた気持ちになるんだろう。
「んじゃ最後」
そう言いつつ、ホルンは目を細めた。
「俺たちと一緒に生きているのはいやか?」
時が止まってしまったかと錯覚してしまうほどに、イクロスは全身を硬直させた。
周囲の音が消えてしまったかのように、耳が音を感じることを拒絶する。脳内を巡る彼の言葉が、何度も何度も反復する。
俺たちと一緒に生きているのはいやか? ――そんなわけがない。嬉しいに決まっている。
そして、生きることに対して、今まで持っていた嫌悪を感じなかったことに、驚いてしまった。
それほどに、私は彼らと一緒に生きることが嬉しいのだと思う。
呼吸を数回してから、一度瞼を閉じる。
思うのは今までの彼らと過ごした日々。父と過ごした少しの思い出。トウカと一緒だった記憶。
辛いことはたくさんあった。悲しいこともたくさんあった。
でも、同じくらいに嬉しいこと、楽しいことがたくさんあった。
瞼を持ち上げて、一人ひとりを見つめる。
「……私は、みんなと一緒にいて、とても嬉しいよ」
生きることに疲れた時もあったけれど、今こうして生きていることにほっとする。
「生きていて…………よかったとも思うよ」
「当たり前だ、アホが!」
バシッ、といい音が響いた。
「いったぁ……!」
イクロスは叩かれた頬を押さえながら、右手を振り上げているカノンを見上げた。
「何すんのよ!」
「さっきからずっとムカツク言ってたからだ」
「カノンー。体罰は駄目だぞー」
横からホルンが茶々を入れるもカノンは聞く耳を持たず。両腕を組んで仁王立ちしたまま、頭一つ分下にある彼女を睨みつける。
「生きているのが嫌になったなんて、聞いてて俺は嫌だった」
折角生まれてきたのに、実は主がそんなことを考えていたなんて……思いたくも無いのに。
「ホントはもっとぶん殴りたいくらいだ。これぐらいですんだのを光栄に思え」
「…………思いたくないですわね」
ぼそりと呟いたセーレンに、レオンもうんうんと同意して頷く。
「お前らは黙ってろ。…………あー、もう、なんて言うか忘れちまったじゃねえかよ!」
「阿呆だな」
「ホルンこの野郎ッ!!」
もう何が何だか……グダグダになりつつある風景に、イクロスは思わず苦笑を浮かべた。
ホルンに殴りかかっていたカノンは、そんなイクロスを見て顔を赤くする。
「テメェ笑うな! っそこもだ!!」
ホルンの影に隠れてこそこそと笑っていたセーレンとレオンを目ざとく見つけたカノンが吠えるも、笑いが止まるはずもなく。結局、ホルンにまで笑われてしまった。
地団太を踏んで怒りを表すカノンではあるが、途中でどうでもよくなったのか大きく息を吐きだした。
「あー……もう、疲れる」
がりがりと頭をかきながら、イクロスを一瞥する。
「……なあ、楽しいよな」
「え?」
「楽しいと言え、楽しいと」
そこで気付く。
彼の不器用で暖かな優しさ。
直球過ぎて遠回りしている彼の感情に、陽だまりのような温かさを感じる。
「……うん、楽しいよ!」
だから彼に届くように胸を張っていった。
生きていることは辛いけれども、それ以上の愉しさもある。
そして思い出す。ずっと昔から決めていたもの。父と語り合った仄かな夢。
「…………ねえ、みんな。ちょっと集まって」
諦めかけてしまった夢を、もう一度、彼らと追いかけたい。
頭に疑問符を浮かべながら、集まってきた四人と一緒に円をつくる。
「私は夢を追いかけたい……『最高の魔術師』になる、夢」
四人が、その言葉に目を丸くした。
何が最高なのかは分からない。力ではない、地位でもない。名誉がほしいわけでもない。
ただ……そう、自分の中での『最高の魔術師』になりたいと、思った。
幼い頃の純粋な夢。
それが今でも叶うなら、叶えたいと願う。
「力を、貸してくれる?」
そんな質問はきっといらなかったと思うけれど、最終確認だ。
「勿論ですよ」
頬に泣き跡が残りつつも、満面の笑みを浮かべるセーレン。
「致し方ないな」
苦笑を浮かべつつ、いつものように話すレオン。
「最後までついていくぜ」
まるで父親のような、柔らかな表情のホルン。
「当たり前だバーカ」
無邪気な子供のように、それでいて心強い瞳を向けてくれるカノン。
全員を見渡して、一つの想いを心に秘めて、イクロスは青く澄み渡る空を仰いだ。